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第2研究室
極私的狂言作品手帖
 
HP開設以降に鑑賞した作品を収めていきます。
佐藤は狂言を専門としていないので、
不備・思い違いなどあるかもしれませんが、
鑑賞の一助になればと考えています。
 
作品名の頭の▼をクリックするとその作品解説に移ります
 
 
[あ] 胼(あかがり)/悪坊(あくぼう)/合柿(あわせがき)/
[い] 犬山伏(いぬやまぶし)/今参(いままいり)/伊文字(いもじ)/入間川(いるまがわ)/
[う] 魚説法(うおぜっぽう)/鶯(うぐいす)/歌争(うたあらそい)/靱猿(うつぼざる)/瓜盗人(うりぬすびと)/
 *大蔵流・魚説経(うおぜっきょう)⇒魚説法(うおぜっぽう)
[お] 大藤内(おおとうない)/鬼瓦(おにがわら)/伯母ヶ酒(おばがさけ)/
 *大蔵流・御茶の水(おちゃのみず)⇒水汲(みずくみ)
 
[か] 柿山伏(かきやまぶし)/蝸牛(かぎゅう)/隠狸(かくしだぬき)/蚊相撲(かずもう)/金岡(かなおか)/金津地蔵(かなづじぞう)/蟹山伏(かにやまぶし)/鐘の音(かねのね)/鎌腹(かまばら)/雷(かみなり)/川上(かわかみ)/雁大名(がんだいみょう)/雁礫(がんつぶて)/
 *大蔵流・鴈盗人(がんぬすびと)⇒雁大名(がんだいみょう)
[き] 菊の花(きくのはな)/狐塚(きつねづか)/木六駄(きろくだ)/禁野(きんや)/
[く] 杭か人か(くいかひとか)/鬮罪人(くじざいにん)/口真似(くちまね)/首引(くびひき)/栗焼(くりやき)/
[け] 鶏猫(けいみょう)/
[こ]/柑子(こうじ)/膏薬練(こうやくねり)/小傘(こがらかさ)/子盗人(こぬすびと)/木実争(このみあらそい)/昆布売(こぶうり)/
 
[さ] 咲嘩(さっか)/薩摩守(さつまのかみ)/佐渡狐(さどぎつね)/猿聟(さるむこ)/三人片輪(さんにんかたわ)/三番叟(さんばそう)/
[し] 磁石(じしゃく)/二千石(じせんせき)/止動方角(しどうほうがく)/痺(しびり)/清水(しみず)/舎弟(しゃてい)/宗論(しゅうろん)/
[す] 末広かり(すえひろがり)/酢薑(すはじかみ)/墨塗(すみぬり)/
[そ] 宗八(そうはち)/空腕(そらうで)/
 
[た] 太子手鉾(たいしのてぼこ)/竹の子(たけのこ)/狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)/
[ち] 児流鏑馬(ちごやぶさめ)/茶壷(ちゃつぼ)/
[つ] 通円(つうえん)/月見座頭(つきみざとう)/苞山伏(つとやまぶし)/釣狐(つりぎつね)/
 *大蔵流・土筆(つちづくし)⇒歌争(うたあらそい)
[と] 鈍太郎(どんだろう)/
 *大蔵流・土筆(どひつ)⇒歌争(うたあらそい)
 
[な] 長光(ながみつ)/泣尼(なきあま)/名取川(なとりがわ)/鍋八撥(なべやつばち)/
[に] 仁王(におう)/鶏聟(にわとりむこ)/
[ぬ] ぬけから(ぬけがら)/
[ね] 寝音曲(ねおんぎょく)/禰宜山伏(ねぎやまぶし)/
 
[は] 萩大名(はぎだいみょう)/八句連歌(はちくれんが)/花折(はなおり)/花盗人(はなぬすびと)/不腹立(はらたてず)/
[ひ] 髭櫓(ひげやぐら)/人を馬(ひとをうま)/
 *大蔵流・人馬(ひとうま)⇒人を馬(ひとをうま)
[ふ] 吹取(ふきとり)/福の神(ふくのかみ)/梟山伏(ふくろやまぶし)/富士松(ふじまつ)/附子(ぶす)/文相撲(ふずもう)/無布施経(ふせないきょう)/二人大名(ふたりだいみょう)/二人袴(ふたりばかま)/仏師(ぶっし)/舟渡聟(ふなわたしむこ)/舟ふな(ふねふな)/文荷(ふみにない)/文山賊(ふみやまだち)/文蔵(ぶんぞう)/
 *大蔵流・梟(ふくろう)⇒梟山伏(ふくろやまぶし)
[ほ] 法師ヶ母(ほうしがはは)/棒縛(ぼうしばり)/謀生種(ほうじょうのたね)/盆山(ぼんさん)/
 *大蔵流・茫々頭(ぼうぼうがしら)⇒菊の花(きくのはな)
 
[み] 水掛聟(みずかけむこ)/水汲(みずくみ)/
 
[や] 八尾(やお)/痩松(やせまつ)/
[よ] 横座(よこざ)/呼声(よびこえ)/
 
[れ] 連歌盗人(れんがぬすびと)/
[ろ] 六地蔵(ろくじぞう)/呂蓮(ろれん)/
 
[わ行]
 
 
 
胼(あかがり)/大蔵流では「皸」 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 近頃、外出の多い主人は今日も太郎冠者を連れて外出。その途中で川を渡らねばならず、主人は太郎冠者に背負って渡るように命じる。しかし、太郎冠者は「あかがり(あかぎれ)」に脛にできていて、水に浸かることができない。主人は「あかがり」ということばを詠み込んだ和歌を作れば背負ってやると言い出す。主人に背負われるなどとんでもないと辞退する太郎冠者であったが、主人の命ずるままに、「あかがり」を詠み込んだ歌を詠む。太郎冠者は1首、また1首と詠み、主人に背負われて川を渡る。川の半ばで、主人はもう1首詠めと命じ、太郎冠者はそれに応えるが、召使が主人に背負われるとはとんでもない、と豹変した主人は言い、太郎冠者を川に落として去っていく。残された太郎冠者は、1人寂しさを呟いて去っていく。
 ○この作品で詠まれる3首の和歌は流儀によって多少ことばの異なる所はあるが、それぞれ掛詞を用いて巧みに詠まれている。
 ○川に落とされた太郎冠者は最後「はー、くっさめ」とくしゃみをして終る、クサメ留め。一抹の寂しさが漂う。
 
 
■悪坊(あくぼう) 出家狂言・発心物
 悪坊  僧  宿主
 1人の僧が旅をしていると、大酒を飲んだと思しき乱暴者が現れ、同道しようと迫る。僧は仕方なく道連れになるが、やがて長刀で脅され、乱暴者の定宿としている所に連れ込まれる。酔った勢いで横になる乱暴者は、腰を揉めと命令し、そのまま寝入ってしまう。僧は宿の者に男の正体を尋ねる。聞けば、男は近隣一の乱暴者で、傷一つ負わずにここまで来られたのも奇跡だという。あわてた僧は、男の小袖や長刀を奪い、代わりに自分の衣と傘を置く。そして、悪坊の枕元で、仏の使いとして訓戒を垂れ、逃げ去る。
 目を覚ました乱暴者は仏の使いの訓戒を真剣に受け止め、自らが犯した罪を悔い、これを機に出家の志を立てる。
 ○類曲に悪太郎がある。悪太郎よりやや簡略な筋運びとなっていて、おそらくこちらが原型と考えられる。
 ○和泉流では、寝ている男の髪や髭を剃ってしまう。付けていた髭を取り去り、白い頭巾で剃髪を表現する。
 ○酔婆羅門(すいばらもん)説話が底にある。
 
 
合柿(あわせがき) 集狂言・商人物
 柿売り +立衆
 宇治の柿を食べに行こうと男たちが連れ立っていると、柿売りが折りよく声をかける。男たちが見ると、どうも柿が渋そうなので、柿売り自身が食べて甘かったら買うという約束をする。柿売りが1つ試食すると、ことのほか渋い。しかし、渋いと悟られては売れないから必死で甘いと答える。男たちはなおも怪しみ、口笛を吹けと言う。あまりの渋さに口のこわばった柿売りは口笛が吹けず、男たちは笑って立ち去ろうとする。柿売りは「甘かったら買う約束をしたのだから代金を払え」と追いすがる。しかし、多勢に無勢、逆に男たちに叩かれ、売り物の柿を撒き散らされ、1人取り残される。
 ○和泉流では柿売りが男たちを呼び止める形、大蔵流では男たちが通りすがりの柿売りを呼び止める。
 ○渋いという仕草、それを隠して甘いと嘘をつき、口笛を吹こうとする仕草が面白い。
 ○柿の入れ物は笠を使用する。柿自体は使用せず、柿売りが試食する場面、最後に男が撒き散らす場面も、実際には仕草のみで柿があるように演じる。
 
 
■犬山伏(いぬやまぶし) 山伏狂言・道中物
 山伏  僧  茶屋  犬
 僧が茶屋で休んでいるところに来合わせた山伏は、横暴さを見せ、自分の荷物である肩箱を僧に持たせようとする。みかねた茶屋の主人は、2人に祈祷の勝負をさせる。先ほどからの横暴な態度に腹を立てていた主人は、「とら」という名の凶暴な犬を連れてきて、祈祷によってなつかせたほうを勝ちとするという提案をするが、その一方で、僧に「とら」ということばの入っている経文はないかと尋ね、祈祷の間に「とら」と読み込めば犬はおとなしいと入れ知恵をする。僧は茶屋の言うとおり、「とら」ということばの入った経を唱え犬をおとなしくできるが、山伏の祈祷は犬を怒らせ、やがて犬に追いかけられて逃げ出す。僧と茶屋も後を追いかける。
 ○犬はもんぱに黒頭、<賢徳>面をかける。
 ○山伏と僧が祈祷較べをする類曲に禰宜山伏がある。
 
 
■今参(いままいり) 大名狂言・在地大名物
 大名  太郎冠者  新参の者
 新しい召使を雇うことに決めた大名は、太郎冠者に適当なものを探しに行かせる。街道筋で適当な男を見つけた太郎冠者は早速、男を主の屋敷に連れて帰る。道すがら、太郎冠者は男に、主人である大名が秀句(しゃれ)が好きであると言い、いくつか秀句を教えておく。
 新参の者の秀句が気に入った大名は、男を「今参り」と名付け、雇うことを決める。覚えていた秀句を言い間違えて、大名も一旦は腹を立てるが、すかさず男も取り繕い、事なきを得る。やがて2人は秀句を唱えながら、浮かれていく。
 ○大名が新参の者を試そうと、視線を動かして、その反応を見る。この目の使いがある曲は他に人を馬がある。
 ○最後の留めで、大名が浮かれていることの現われとして、笛の音色を擬音で表現する珍しい部分がある。
 
 
■伊文字(いもじ) 女狂言・妻定め物
 女  主(しゅう) 太郎冠者 通りの者
 独身であった男(主)がある日思い立って妻を探すことになり、清水寺の観世音菩薩に祈る。すると夢の告げがあり、そのお告げどおりに行ってみると、まさしくそれらしい女がいる。主は早速、太郎冠者を遣って女に声をかけ、住まいを尋ねさせる。女は住まいを歌に詠んでその場を去る。しかし、太郎冠者は肝心の場所を詠んだ部分を「い」が付くこと以外憶えられない。そこで主と太郎冠者は関を作って、道行く人を捕まえて「い」の付く国・里を探す。「い」の付く国・里を探し当てた通りがかりの者は主人に挨拶をして去っていく。
 ○大蔵流では、前半の女と後半の通りの者とを同じ演者が演じる。和泉流でも最近同様の演出の場合がある。
 ○女の住まいは伊勢国の伊勢寺本なのであるが、「い」が付くことしか思い出せない太郎冠者に対し、「い」の付く国・里を考える通りの者の舞が見所。舞台の各所で様々な形の舞を見せる。
 ○清水寺で妻探しの願をかける曲には、二九十八(にくじゅうはち)、吹取(ふきとり)などがある。
 
 
■入間川(いるまがわ) 大名狂言・遠国大名物
 大名  太郎冠者  入間の何某
 久しく都で訴訟を続けていた大名は、ついに訴訟も叶い、東の本国へ下向する。道すがら大きな川に出たので、向こう岸の者にここはどこかと尋ねる。何某は入間川であると答え、この辺りは川が深く、浅瀬は上流であると教える。しかし、大名はそこを渡ってしまい、ずぶ濡れになる。大名は「入間様(いるまよう)」と言って、逆さ言葉を使うのだからあえて深いと言った所を渡ったのだと怒る。入間の何某はとっさに、逆さ言葉で答えなおしたので、機嫌のよくなった大名は、しばらく入間様で話し、打ち興じるままに太刀や刀を与える。しかし、最後はそれまで与えていた物を取り返し、逃げ去っていく。入間の何某もそれを追っていく。
 ○逆さ言葉とは「面白い」という気持ちを「面白くない」などと表現すること。『柳亭筆記』などの近世期の随筆に「入間様」についての記述があり、近世には逆さ言葉として認識されていたようである。
 ○作中場面が東国・武蔵の国入間である点が珍しいが、都から東国への道行きで富士山見物がある唯一の曲。
 ○本舞台を川に見立て、一の松の大名・太郎冠者とワキ柱の入間の何某が川を隔てて対面する形を取る。
 ○訴訟が無事済み、おおらかで浮き立った大名の雰囲気が全編にあふれる。
 
 
■魚説法(うおぜっぽう)/大蔵流では「魚説経」 出家狂言・俄出家物
 新発意  施主
 親の追善のために堂を建立した男は、堂の供養のために寺を訪れるが、あいにく住持(じゅうじ)がいない。応対に出た新発意(しんぼち)に供養の説法を頼むが、まだ修行を始めたばかりの新発意はまともに法談もできずに一度は断る。しかし、布施に心を動かされ、供養に出かけてしまう。経は読めないが、小さい頃に住んでいた海辺で聞き覚えた魚の名前でも交ぜながら、法談らしく聞かせようと策を練る。
 説法が進み、施主の男も新発意の説法が魚の名前を交ぜたいかがわしいものだと気付き怒り出す。新発意は逃げ出し、施主の男が追いかける。
 ○大蔵流では漁師出身の男が殺生を嫌って出家したという設定で、僧侶不在のため新発意がそれに代わるという部分がない。
 ○魚の名前の交ぜ方は流儀によって異なる。和泉流の説法は「かやうのめでたい(鯛)御代にも会はび(鮑)とぞ思ふ……」と始まる。
 ○魚の名前をかけた部分は、わざとらしくなく、それでいて明瞭に魚の名前とわかるように言うなど、台詞の面白さに重点があるので、年少者の稽古曲としてしばしば使われる。
 
 
■鶯(うぐいす)/大蔵流ナシ 集狂言・雑物
 何某(なにがし)  男
 小鳥を沢山飼っている男がある日鴬を上手く鳴かせるために、籠に1羽の鴬を入れて野に出る。そこへ鴬好きの梅若という稚児に仕える男(何某)が、主人に献上するための鴬を捕まえに鳥糯の付いた竿を持って現れる。何某は鳥籠の中の鴬を男にねだるが、譲ってくれない。男は何某の持っている小刀を賭けさせて、1度だけ籠の中に竿を突かせてくれる。しかし、何某は籠の鴬をうまく捕まえられない。何としても鴬の欲しい何某は、太刀を賭けてもう1度挑戦するが、またしても失敗する。男はかまっていられないと、賭けに勝った小刀・太刀と鴬の籠を持って去ってしまう。
 残された男は、その昔、梅若という稚児が若くして死んだ後、鴬になって戻り和歌を詠んだ故事を語り、自分の主人である梅若も、鴬ならずともせめて雀になって和歌を詠み、小刀・太刀を取り返して欲しいものだと語り、竿をも打ち捨てて帰っていく。
 ○故事の歌「初春の 朝(あした)ごとには 来たれども 会はでぞ帰る もとのすみかに」を巧みに詠み変えたところにおかしさがあるが、その一方で、すべて取り上げられた哀しさがそこはかとなく漂う。
 ○何某が鴬を採りに出かける装束は、厚板・布羽織・下袴(あるいは長袴)に騎者笠という、いわゆる鷹狩などに見られる装束に近く、狂言作品としては珍しいもの。
 
 
■歌争(うたあらそい)/大蔵流では「土筆(つちづくし・どひつ)」  集狂言・友人物
 何某  何某
 天気が良い春の日なので、男は友人を誘って野に遊びに出ようとする。友人の家を訪れると、彼の庭も春の装いであった。男は芍薬(しゃくやく)の花に目を留める。男は「芍薬」を詠んだ歌があると言って、その歌を教える。しかし、それは男の間違いであった。
 気を取り直し、野に遊びに出ると、土筆(つくし)があちこちで出ている。友人は土筆を見て歌を詠む。しかし、変な詠み方をしたので、男が笑う。友人は慈円の歌を根拠に反論するが、「それ自体が間違いだと」と笑う男に対し、友人は腹を立て、先日見かけた、男の相撲取りでの無様な姿を笑う。友人は、昔のことを持ち出されて腹を立て、相撲を取ろうとする。友人は男を打ち倒して去っていく。男は「もう1番勝負だ」と言って追いかける。
 ○大蔵流では、「つくし」の歌が先で、「しゃくやく」の歌が後。また、歌を間違える人物が異なったり、相撲の場面が異なったりと、現行のものでも流儀内で様々な形が伝わる。
 ○「芍薬」の歌とは、和泉流では王仁(わに)の「難波津にしゃくやくの花冬ごもり今を春べとしゃくやくの花」、正しくは「咲くやこの花」。
 ○「土筆」の歌とは和泉流では「春の野に土筆(つちづくし)しをれてぐんなり」。根拠とした慈円(慈鎮)の歌は「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐんなり」で、正しくは「風さわぐなり」。
 
 
靱猿(うつぼざる) 大名狂言・遠国大名物
 大名  太郎冠者  猿引き  猿(子方)  (+地謡)
 弓の名手と豪語する大名が太郎冠者を連れて野辺を散策する。ちょうどそこへ、御厩(おんまや)祭りに出かける途中(大蔵流では天気が良いとの理由)の猿引きと出会う。猿引きの連れた猿を見て、大名は自らの靱(うつぼ:矢を入れて携帯する筒状の容器)の皮にその猿の皮が欲しいと求める。猿引きは毅然と断るが、大名も弓矢をつがえて脅す。猿引きは仕方なく猿を抱き寄せ因果を言い含めると、猿の急所を杖で打って殺そうとする。しかし、猿は無邪気にもその杖を奪って、習いたての舟の艪を押す芸をする。あまりのいじらしさに泣き出す猿引きを見て、大名も哀れを催し猿の命を助ける。喜んだ猿引きは、お礼に猿の芸を見せる。猿引きの謡にあわせて舞う猿を見て、大名も猿のまねを始める。
 ○伊呂波(以呂波)と並んで、子方の初舞台として使われる大曲。
 ○歌舞伎では「寿靱猿」「花舞台霞の猿曳」などとして上演された。
 
 
■瓜盗人(うりぬすびと) 集狂言・盗人物
 盗人  畑主  (+囃子)
 瓜がみごとに実った畑主は畑を荒らされないように案山子(かかし)を立てる。ちょうどそこへ、男が瓜を盗みに入る。夜の闇にまぎれて瓜を盗んでいるうちに、案山子とぶつかって狼狽する。しかし、案山子とわかって腹を立て、その案山子を壊して帰っていく。翌日、瓜を盗まれた上に、案山子も壊された畑主は、自らが案山子のふりをして、盗人がまた来るのを待つ。畑主の予想通り、その晩も盗人がやってくる。案山子がまるで人間のようだと感心する盗人は、今年の祇園会の当番であることを思い出し、その出し物である鬼が罪人を責め立てる場面を案山子相手に稽古し始める。盗人が油断したところを見澄まして、畑主は打ちかかり、盗人は逃げていく。
 ○和泉流では畑主が用心のために案山子を立てる場面から始まるが、大蔵流では盗人が盗みをする場面が最初にあり、次いで盗難防止のために畑主が案山子を立てる。
 ○闇夜で瓜を盗む方法が変わっている(両流同様)。
 ○盗人の稽古にある鬼と罪人は、鬮罪人(くじざいにん)に類似する。
 ○案山子に使う面は<うそふき>。
 
 
■大藤内(おおとうない)/大蔵流ナシ 替間狂言
大藤内  所の者何某
 取り乱した態で男が逃げてくる。通りがかった者がその正体を尋ねると、男は大藤内といい、工藤祐経(くどうすけつね)の屋敷から逃げてきたと言う。さらに聞くと、曾我兄弟が親の仇を討つために、敵である工藤祐経の屋敷に侵入してきたため、慌てて逃げてきたのだと説明する。何某が見ると、男は女の衣を上に掛け、太刀だと思って掴んだものは尺八だった、と何とも奇妙な風体であった。「襲われて痛くはなかったか」と尋ねると大藤内は「たしかに痛い」と言い出し、「斬られているぞ」と指摘すると、仰天して倒れてしまう。臆病者だと悟った何某は、曾我兄弟がお前を討ちに来るぞというと怯えてどこかに隠してくれとすがりつく。何某はすがる大藤内を引き倒し去ろうとする。なおも追いすがる大藤内、突き放す何某と繰り返して去っていく。
 ○大蔵流では、能『夜討曾我(ようちそが)』の前場と後場をつなぐ間狂言(あいきょうげん)としてのみこの場面が使われる。アイが和泉流の場合は、常の型では曾我兄弟が工藤祐経を見事討ち取った話を伝える形となり、替間(かえあい:間狂言の異型)として使われるほか、独立した狂言として存在する。
 ○大藤内(王藤内)は備前の神官で、『曾我物語』では工藤祐経に曾我兄弟の敵討に注意するよう忠告するが、結局自身も斬られてしまう人物。
 
 
■鬼瓦(おにがわら) 大名狂言・遠国大名物
 大名  太郎冠者
 在京しながら無事訴訟を終えた大名は、帰郷する前に、日頃信仰している因幡薬師へお参りに行く。見事な堂を拝観しながら、ふと、目をやると、鬼の形相をした鬼瓦が目に入る。「どこかで見た顔だ……」としばらく思案していると、故郷に置いてきた妻の顔にそっくりであると気付く。望郷の思いが増さり、大名は突然泣き始めるが、太郎冠者が故郷に帰ればすぐに会えると慰める。大名も気を取り直し、2人で笑って去っていく。
 
 
■伯母ヶ酒(おばがさけ) 集狂言・親族物
 甥  伯母
 酒屋を営む女は非常に吝嗇で、その甥っ子は一度も酒を振舞われたことがない。今日こそ酒を飲ませてもらおうと甥はあれこれと苦心するが、伯母はあっさりと断る。諦めた甥は帰ることにするが、名案を思いつき伯母の所に戻る。「最近この辺りに鬼が出るから注意しなさい」と忠告しておいてから、今度は風流(ふりゅう)の面をつけて鬼のふりをして現れる。甥の忠告どおり鬼が現れたことに怯える伯母は、鬼(実は甥)の言うままに酒倉に鬼を入れる。甥は鬼の面が邪魔でせっかくの酒がうまく飲めないので、「こちらを見るな」と脅しながら面をずらして酒を飲む。酒が進むほどに甥は大胆になり、膝頭に面をかぶせて、横になったまま酒を飲み出す。しかし、酔ってウトウトとしたところを伯母に見られてしまい、追い込まれて逃げ出す。
 ○甥のつける面は<武悪(ぶあく)>の面。
 ○通常酒を飲む場面は3回のものが多いが、この曲では5回にわたって飲む。しかも相手もなしに1人で飲まねばならない上に、短時間で酔った様子を演じるのがみどころ。
 ○甥が酒蔵で酒を飲む場面で、鬼に怯える伯母は、和泉流では橋掛かり一の松あたり、大蔵流では通常シテ柱前でひれ伏す。
 
 
■柿山伏(かきやまぶし) 山伏狂言・道中物
 山伏  畑主  (+囃子)
 大峰葛城(おおみねかづらき)での修行を終えたばかりの1人の山伏は、喉の渇きを感じ、辺りの飲み水を探す。しかし、あいにく茶屋などもなく、柿のたくさん実った木を見つけた山伏は、つい木に登り、柿のつまみ食いをする。そこへ畑の見回りに来た主に見つかってしまう。とっさに柿の木の幹に身を潜めて隠れようとする山伏であったが、身体は隠れきることなく、それを見た畑主は、山伏をあざ笑う案を思いつく。柿の木に隠れたのは動物だ、と言って、山伏にその動物の鳴きまねをさせる。果ては鳥だから飛び立つはずだと脅し、木から山伏を飛び立たせる。飛び降りて腰をしたたかに打った(大蔵流では足を挫く)山伏は畑主に怒りを伝えるが、畑主は取り合わずに帰ろうとする。山伏は畑主を引きとめようと、呪文を唱える。畑主は呪文に合わせて引き戻され、倒れ伏す。しかしそれは、なおも山伏を騙したのであり、畑主は急に起き上がって腰にさした扇を振りかざす。山伏は慌てて逃げていく。
 ○大蔵流では、山伏を一度背負うが、その後、山伏を打ち倒して逃げ去る。和泉流では、山伏の呪文で引き戻され、そのまま山伏を背負って幕に入る形もある。
 ○柿の木の上で山伏がやらされるのは、犬(大蔵流ではカラス)、次に猿、最後にトンビの真似であり、類似の展開に盆山(ぼんさん)がある。
 
 
■蝸牛(かぎゅう) 山伏狂言・道中物
 山伏  何某(主)  太郎冠者  (+囃子)
 大峰葛城(おおみねかづらき)での修行を終えた山伏は、道中、疲れを休めようと藪で横になる。
 一方、ある男は、祖父(おおじ)のさらなる長寿を願い、長寿の薬である蝸牛(かたつむり)を取ってくるよう、太郎冠者に命じる。蝸牛を知らない太郎冠者は、主人である男の説明するままに蝸牛を探しに藪に入っていく。太郎冠者は寝ている山伏を見つけるが、その姿が、主人が説明していた蝸牛そのものであることから、山伏を連れ帰ろうとする。太郎冠者の誤解に気付いた山伏はしばらく楽しんでやろうと、蝸牛のふりをし、歌を謡わせる。太郎冠者の帰りが遅いと心配した主人が迎えに行くと、2人で囃しに熱中している。怒った主人は必死に太郎冠者に理解させ、ようやくわかった太郎冠者と、山伏を打ち据えようとする。しかし、法力(ほうりき)で身を隠した山伏は逆に2人を驚かし、逃げ去っていく。主人と太郎冠者がその後を追う。
 ○大蔵流では、比較的古い伝書にこの曲がなく、主人も巻き添えにして3人で囃しながら浮かれて幕に入っていく形で終る。和泉流でも、時折、追い込みドメにしないこの形で行われる。
 ○囃しの詞は「雨も風も吹かぬに、でざ、かま打ち割ろ」「でんでん、むしむし」。<雨も風も吹かないけれども、頭を出さないならば、殻を壊してしまうぞ>という童謡的なもの。
 ○山伏の扮装と、主人の蝸牛についての説明とが重なっている所がおかしく、こうした取り違えの作品は末広かり(すえひろがり)・張蛸(はりだこ)など多数ある。
 
 
■隠狸(かくしだぬき)/大蔵流ナシ 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 太郎冠者が昨晩狸を捕らえたと漏れ聞いた主は、太郎冠者を呼び、真偽を確かめるが、太郎冠者はしらを切る。主は、狸汁を振舞うと連絡してしまったのでと、太郎冠者に狸を買い求めに市に行かせる(太郎冠者、中入り)。なおも不審がる主は、小竹筒(ささえ)に酒を入れて太郎冠者の後を追う。市では、太郎冠者が自分の捕らえた狸を売ろうとし、主人に見つかってしまう。とっさに狸を隠し逃げ帰ろうとするが、主はそこで酒盛りを始める。主は太郎冠者に舞を所望し、太郎冠者は狸を気にしながら、1曲舞う。さらに長い曲をと所望され、太郎冠者が舞っているうちに、腰に結わえた狸を主が取ってしまう。取られたことに気付かない太郎冠者は、主から狸を突き出されて逃げ出し、主がそれを追う。
 ○太郎冠者が最初に舞う曲は「兎」。腰の脇に結わえた狸を見つからないようにと苦心して舞う。次のやや長い曲が「鵜飼」。「忘れ果てて面白や」という詞章は、狸を隠しているのを、太郎冠者自身が忘れてしまっていることを暗示させる。最後に連れ舞で「兎」を舞う。その時、主が取り上げた狸を突き出す。
 ○酒が進むと口が軽くなるという主の思惑通り、盃を重ねると、太郎冠者は調子に乗って狸の釣り方を説明し始める。
 
 
■蚊相撲(かずもう) 大名狂言・在地大名物
 大名 太郎冠者 蚊の精
 ある日、大名は新しい使用人(大蔵流ではお抱えの相撲取り)を雇うことを思い立つ。早速太郎冠者に命じて、街道沿いで適当な人間に声をかけさせる。太郎冠者が通りがかりの者(実は江州守山から都に人間の血を吸いに来た蚊の精)に事情を話すと、男は素直についてくる。大名の元に戻り、報告をすると、大名も興味を持つ。特技は何かと訪ねると「弓、鞠、包丁……」などと言い連ね、様々あるが中でも相撲が最も得意だという。大名は自らその男と相撲を取ろうとする。組み合おうとすると、蚊の鋭い口に刺され目を回して倒れてしまう。大名は太郎冠者に男の出身地を尋ね、「江州守山は蚊どころ、それならばこいつの正体は蚊であろう」と悟り、大きな団扇であおいで退治しようとする。身体の軽い蚊の精は団扇であおがれ、ふらふらとしてしまうが、隙を見て大名を押し倒し、逃げていく。倒された大名は腹いせに太郎冠者を打ち倒し、蚊の精の真似をしながら去っていく。
 ○大蔵流では、正体を見破った大名が太郎冠者に扇であおがせ、蚊の精のくちばしを抜き取り、相撲の勝負に勝つ。大名と太郎冠者が去っていく後、蚊は起き上がって幕に入る。
 ○蚊の精として使われる面は<うそふき>と呼ばれる面で、口をちょっと突き出したユーモラスな顔。相撲の勝負の時に、後見座で紙縒りで作ったくちばしを口に着ける。<うそふき>の面は、野老(ところ:山芋)の精や蛸の霊といった精霊で用いられるほか、瓜盗人(うりぬすびと)では案山子(かかし)の頭として使用される。
 ○大名が相撲を取る類曲に鼻取相撲(はなとりずもう)・文相撲(ふずもう)がある。
 
 
■金岡(かなおか)/大蔵流ナシ 女狂言・夫婦物
 金岡  妻  (+地謡・囃子)
 絵師金岡が家を空けてから数日が立ち、心配した妻が都を探し回る。そして、ものぐるいの態の金岡を見つける。金岡は狂乱の態で謡いながら泣くばかりなので、その理由を何とか聞き出すと、先日、御殿で絵を描いた時に目にした女中の美しさが忘れられないのだと言う。妻は怒りをぐっとこらえ、「女というものは総じて化粧しだいで美しくなるものだから、得意の絵心で私の顔を彩ったらよかろう」と提案する。金岡は最初気が進まない様子であったが、何とか思い立って、妻の顔に彩色を施す。しかし、下地が悪い女ではやはり美しくなるわけはなく、絵筆を投げ出し、妻を突き倒して逃げ出す。妻は怒ってそれを追いかける。
 ○現行では和泉流のみ(鷺流にもあったようである)で、釣狐(つりぎつね)や花子(はなご)に次ぐ重習の曲。単に滑稽な顔塗りの話にならないように、上品な謡と所作が求められる。
 ○金岡の登場は、笹の枝を持ち、狂乱を象徴させる。
 ○彩色は白と朱の2色で、絵の具箱の中に猪口2つを用意する墨塗(すみぬり)同様、顔に絵の具を塗りやすいように、ビナンを付けておく。
 
 
■金津地蔵(かなづじぞう)/大蔵流は「金津」 集狂言・すっぱ物
 子  金津の者  親(都のすっぱ)  +立衆
 持仏堂を建立し、そこに安置する地蔵を求めに都にやってきた金津の者に対し、都のすっぱはまんまと騙してやろうとする。田舎者(金津の者)の注文を聞き、自らの子どもを地蔵に仕立て、田舎者に渡す。金津に地蔵を連れ帰った男は早速、近隣の者たちを呼び集め、礼拝する。すると子どもは饅頭が食いたい・古酒が飲みたいなどと口走り、男たちはさすが生き仏だと感心しながら、所望の品を供える。興がった男たちの囃子で子どもはふらふらしながら舞を舞う。迎えに来た都の親が子どもを背負う所で、騙されたことに気付き、男たちは怒って都の者を追いかける。男は子を背負って逃げていく。
 ○金津の地蔵祭りを題材に取った曲で、前半は仏師(ぶっし)や六地蔵(ろくじぞう)と類似する。
 ○すっぱが地蔵を渡す時、和泉流では「この地蔵は心が備わっているので、口をきいたり物を食べたりするだろう」と言い訳をする。大蔵流では「地蔵のふりをしている間は口をきいたり物を食べてはいけない」と子どもに言い含めておく。
 ○和泉流では、すっぱ(親)が子どもを迎えに行くことで企みがばれてしまうが、大蔵流では「迎えに行く」と言いながら、実際には迎えに行く場面はなく、地蔵が舞うのを金津の者たちが楽しみ、一緒になって舞いながら全員退場する。
 ○和泉流では、地蔵に化けた子どもは<乙(おと)>の面をつける。大蔵流では直面(ひためん:面をつけない素顔)。
 ○仁王像に化けて人を騙す曲に仁王(におう)がある。
 
 
■蟹山伏(かにやまぶし) 山伏狂言・道中物
 山伏  強力(ごうりき)  蟹の精
 強力(ごうりき)を従えて旅をする山伏。奥深い山(大蔵流は江州蟹ヶ沢)で突然、不思議な生き物が出てくる。恐ろしげな風情に、山伏・強力共におびえるが、何者かと訪ねると、なぞかけのようにその生き物は答える。正体が蟹だとわかった強力は、杖で蟹を叩こうとするが、逆に、はさみで耳を挟まれる。山伏は何とか強力を助け出そうと必死に祈るが、逆に山伏も耳を挟まれる。蟹の精は、2人を突き倒し去っていく。
 ○登場した山伏は、鏡板に向かい、次第を謡う。強力は太鼓座で片膝をつき、地取りをする(謡いの後半部分を低音で繰り返す)。強力を従えた山伏は位が高く、
 ○蟹の精が着ける面は<賢徳(けんとく)>。正体を名乗る時に、「両目は天に」「甲は地に着かない」「大きな足が2つ」「小さな足が8つ」「右に左に世を渡る」ということを話す。親指と人差し指を開いて、はさみの形とし、頭の両側で左右に振り続ける。
 
 
■鐘の音(かねのね) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主  (大蔵流は仲裁人が加わる)
 息子の成人の祝いに黄金(こがね)作りの太刀を作らせようと思った主人は、鎌倉に金の値(かねのね)を調べてくるように命ずる。また、方々で値が違うから、あちこちを訪ねて聞き比べてこいとも言い添える。
 鎌倉に赴いた太郎冠者であったが、主の命令は方々の寺の鐘の音(かねのね)を聞き比べてくるのだと錯覚し、寺を廻っては鐘を撞いてその音を聞き比べる。その中でも、鎌倉一の寺建長寺の鐘が最も良い音であるとわかった太郎冠者は、早速帰宅し、各鐘の音を伝える。主は太郎冠者の間抜けぶりに腹を立てる。反省した太郎冠者は主の機嫌を直そうと、鐘にちなんだ即興の謡と舞を披露するが、さらに主は怒って太郎冠者を叱る。
 ○大蔵流では、太郎冠者が寺の様子を語って主人が腹を立てる場面に続いて仲裁人が登場し、その仲裁で、鎌倉での寺巡りを再現してみせる。結局、主の機嫌を直せないのは和泉流と同じ。
 ○和泉流では、寿福寺・円覚寺・極楽寺・建長寺の寺を巡る。大蔵流では円覚寺がなく、その代わりに五大堂を巡る。いずれも建長寺の鐘が一番優れるとする。
 ○最後の謡は能『三井寺』の「鐘之段」をふまえたもの。
 ○主人の命令を取り違える曲に末広かり(すえひろがり)・張蛸(はりだこ)などがあるが、鐘の音は主人の機嫌が直らないまま終るところに特徴がある。
 
 
■鎌腹(かまばら) 女狂言・夫婦物
 太郎  妻  仲裁人
 日頃怠けてばかりいる男に愛想を尽かし、妻は男を追い出そうとする。仲裁人が止めに入り、双方の言い分を聞くが、妻は仲裁人を引っ張って、行ってしまう。残された太郎はこのような屈辱は耐えられないと、世をはかなみ、妻の持っていた鎌で腹を切ろうとする。しかし、怖さに震えてそれも果たせない。鎌を使ったいくつかの方法で自殺を試みるが、結局死にきれず、山に仕事に行くことにする。そして、通りすがりの者(舞台には登場しない)に妻への伝言を頼み、去っていく。
 ○揚幕の中から怒鳴り声・足音を立てて、演者が登場する趣向。これは吃り(どもり)とこの曲のみの演出。
 ○大蔵流では、山に入ってから太郎は鎌で腹を切ることを思い立つが、結局それも果たせない。そこへ、太郎の自殺を聞きつけた妻が駆けつけ、自殺を思い留まるように泣いて言う。2人は仲直りして、連れ立って帰る。また、<替えの型>では、自害を止めようと追いかけてきた妻に対して、自分の代わりにお前が死んでくれればいいと失言し、再び怒った妻に追いかけられて逃げる、という演出になる。
 ○歌舞伎の「いろは仮名四十七訓」六段目の『弥作の鎌腹』は、この曲の鎌で腹を切ろうとする場面をふまえて作ったと考えられる。
 
 
■雷(かみなり)/大蔵流は「神鳴」 鬼狂言・鬼物
 雷  藪医者  +地謡(+お囃子)
 近頃、医者が沢山現れて商売に困ったやぶ医者は、まだ医者の少ない東国で開業しようと旅に出る。武蔵野(大蔵流では広い野)に出ると、にわかに雷鳴が轟き、驚いているうちに空から雷が落ちてくる。したたか腰を打って痛がる雷は、医者に腰を治すように命じる。治療中も痛さに叫び続ける雷であったが、治療が終ると、嘘のように腰の痛みが消える。喜んで天に帰ろうとする雷であったが、医者は薬代を請求する。何も持たない雷は治療代を払えないが、その代わり、天気を順調に守って欲しいという医者の願いを聞きいれる。日照りも水害もなく、丁度良い雨具合であるという謡を謡いながら、雷は天に帰っていく。
 ○幕の内より足音を立てて、雷光・雷鳴をピッカリ、グヮラグヮラなどと表現しながら、雷が登場する。腹の所には、「鞨鼓(かっこ)」という小型の太鼓を着け、それを叩く形を取る。
 ○医者が腰を治すのに、大きな鍼(はり)と槌を使用する。鍼治療の音は和泉流ではコッツリ、大蔵流ではハッシなどと表現。
 ○五穀豊穣のため、800年間日照りも水害も起こるまい、と謡う祝言性の高い曲。
 
 
川上(かわかみ)/大蔵流ナシ 女狂言・夫婦物
 盲目の男  妻
 吉野に住む男は10年来目が見えない。生まれついての盲目ではないため、生活の不便も多いが、ある日、吉野のさらに奥の川上という所に安置されている地蔵菩薩が霊験あらたかであると聞き、参詣に出かける。その夜、坊にこもって寝ていると、霊夢を見る。眼を覚ますと次第に目の前が明るくなりついに目が見えるようになる。しかし気になるのは、霊夢の中で菩薩に言われたことであった。
 やがて帰路に着く男は、心配で途中まで来た妻と会う。10年ぶりに妻の顔を見て驚くと同時に、霊夢の内容を伝えなければならない男。霊夢によれば、この妻との結婚が悪縁となって目が見えなくなったのであり、目が見えるようになる代わりにその女とは離縁しなければならないというものであった。怒る女は地蔵菩薩をののしり、離縁しないと強く言い切る。男も長年の情に、離縁しないことを決意、それを報告しに再び参詣する。しかし、歩いている途中でまた目が見えなくなっていく。悲しむ男であったが、これも宿縁であると悟り、妻に手を引かれて帰っていく。
 ○笑いのほとんどない曲であるが、離縁することなく自分の運命を受け入れる点で狂言らしさが出る。しみじみとした味わいを残す曲。
 ○大蔵流では茂山家で復曲の試みがある。
 ○この曲の女は<わわしさ>よりも情愛の深さが描かれる。
 
 
■雁大名(がんだいみょう)/大蔵流は「鴈盗人」 大名狂言・遠国大名物
 大名  太郎冠者  店の亭主
 長い間、都で訴訟をしていた大名は無事それも終わり国へ帰ることになる。ついては、世話になった人々を呼んで肴を振る舞うことにする。太郎冠者は町に出て、初物の雁を見つける。値切って買うことを決めたものの、手持ちの金がない。そこで、一旦屋敷に戻り大名にそれを報告する。しかし、長年の在京で財を使い果たした大名にも金はない。太郎冠者は一計を案じ、まず大名が先に店を訪れ、購入の契約をした雁を買わせる。そこへ太郎冠者が駆けつけ、「うちの主人のために購入した雁を別の大名に売りつけたのか」と詰め寄り、2人は喧嘩を始めることにする。計画通り喧嘩をすると、店の亭主が仲裁に入てくる。その隙に、太郎冠者は雁を盗み外に逃げる。
 大名と太郎冠者は事が上手く運んだことにほくそえむ。迫真の演技だったろうと自慢する大名に、太郎冠者はあの大事な場面でもう1つ盗みをするとは、たいした度胸ですと褒め上げる。大名は最初知らぬ振りをするが、実は言い争いの隙に、国の妻への土産として盗んできたのだと白状し、2人して笑いながら帰る。
 ○中近世の大名の窮迫した一面を見せる他、「武士に限って値切りはしない」といった台詞が面白い。
 ○和泉流では、言い争いの場面で通常の大名の言葉とは多少異なって、「初雁だ」「持って来(き)ろ」「買わず」など国言葉(方言)を話す。関東の方言と考えられている。
 ○商売品として出てくる雁は、大きな鳥の羽を使った羽箒。雁を象徴させる。
 ○店の前でコッソリ打ち合わせをする場面では、本舞台と橋懸りとの距離を利用した形になっている。
 
 
■雁礫(がんつぶて)/大蔵流は「鴈礫」 大名狂言・在地大名物
 大名  通りがかりの男  所の目代(仲裁人)
 ある日、大名が狩りに出て、1羽の雁を見つける。狙いすまして矢を射ようとした時、丁度通りかかった男が石礫を投げつけて雁に命中させる。雁を持って帰ろうとした男を呼び止め、大名は自分が狙い殺した(気迫で殺した)のだから、その雁を置いていけと言う。2人で言い争っているところに、目代(大蔵流では仲裁人)が来て、双方の言い分を聞く。どちらが正しいのか決めかねた男は、死んだ雁を元の場所に置いて、大名にもう一度射させる。動かない雁であるのに、大名はそれを射ることができず、礫を当てた男が雁を持って帰ろうとする。「せめて翼だけでもくれ」と頼む大名。翼で羽箒(はぼうき)を作るのだと言うが、男は無視して去っていき、大名がそれを追いかける。
 ○ワキ柱前に置かれる雁は和泉流では羽箒、大蔵流では洞烏帽子(ほらえぼし)。雁を持つ大きさからいうと、大蔵流の洞烏帽子の方が近いが、「羽箒にする」というオチからいうと、和泉流の小道具の方が似つかわしい。
 
 
■菊の花(きくのはな)/大蔵流は「茫々頭」 小名狂言・抜参り物
 太郎冠者  主
 休暇願いも出さずに休んだ太郎冠者に腹を立てた主は、翌朝太郎冠者を叱りに行く。しかし、都に出かけたと聞き、都で面白いことはなかったかと主は逆に興味を持つ。太郎冠者は菊の花を一輪頭に挿して歩いていたところ、さる上臈から歌を詠みかけられ、それに上手く応えたら、祇園に招待されたという。かみざに座らされたように語っていたが、主はそれがしもざであったことに気付き、教えてやる。また、いつご馳走が出るかと思っていたが、まったくごちそうが振舞われないので、席を立って帰ろうとしたら、1人の下女が追いかけてきて太郎冠者の腕を捩じ上げたという。太郎冠者はしかたなく、席を立つ時に失敬してきた立派な草履(緒太の金剛)を返して、ようやく帰ってこられたと語る。最初は和歌のやり取りなどに感心していた主であったが、太郎冠者が盗みを働こうとしたことがわかり、叱る。
 ○和泉流「菊の花」、大蔵流「茫々頭」と題名は異なるが、いずれも前半を中心にした題名である。
 ○上臈の詠みかけた歌は「都には 所はなきか 菊の花 茫々頭に 咲きぞみだるる」(流儀によって小異あり)、この句をほんの少し変えて、太郎冠者は詠み返す。
 ○類似の構成の曲に、竹生嶋参(ちくぶしままいり)・富士松(ふじまつ)・文蔵(ぶんぞう)などがある。
 
 
■狐塚(きつねづか) 小名狂言・二人冠者物
 太郎冠者  主  次郎冠者
 秋になり、鳥に田を荒らされることを懼れた主は、太郎冠者に命じて田に近付く鳥を追わせる。田のある狐塚は狐が出てきて人を化かすから嫌だと怖がる太郎冠者を叱りつけ、無理に行かせる。狐塚にでかけた太郎冠者は明るいうちは鳴子を鳴らして鳥を追うが、辺りが次第に暮れていくと、狐が出ないかと不安になる。そこへ、太郎冠者の働きを見に次郎冠者が訪れる。遠くから自分を呼ぶ声に肝を潰した太郎冠者は、近付いてくる次郎冠者を狐が化けたものだと思って縛り上げる。続いて、同じようにやってきた主も縛り上げてしまう。太郎冠者は松葉をいぶして、化けの皮をはいでやろうと、松葉の煙を2人に近づける。さらには、皮を剥ぐと言って鎌を取りに行く。太郎冠者の居なくなった隙に、次郎冠者は縄を解き、主人と結託して太郎冠者を懲らしめ、家へと帰っていく。太郎冠者もそれを追いかける。
 ○最後の場面は、怒った2人が縄を解き、鎌を取って戻ってきた太郎冠者を追いかける終わり方もある。
 ○大蔵流では、鳥追いの仕事を太郎冠者と次郎冠者に言いつけ、主がそれを見に行く。主を狐の化けたものだと思った2人は、主を縄で縛り上げ、松葉でいぶすが、やがて本物の主人だと気付いて、慌てて逃げ出す。縄を解いた主がそれを追いかける。
 ○鳴子の小道具を使った様子が、中世の生活を伝える。
 
 
■木六駄(きろくだ) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主  峠の茶屋  伯父
 毎年の恒例で都の伯父に歳暮の品を届ける男が居た。今年も太郎冠者に言いつけて、木を6駄・炭を6駄さらには手酒(自家製の酒)を持たせて、雪の降る中を伯父のもとへ行かせようとする。太郎冠者は木と炭を積んだ牛12頭を追いながら、自ら酒を肩に担ぎ、雪の山道を進んでいく。老の坂(現在の大江山辺り)の茶屋で一休みするため、沢山の牛を追いながら茶屋を目指す。何とか茶屋に着いた太郎冠者であったが、楽しみにしていた酒がちょうど切れていて、茶しかない。呆然とする太郎冠者に、茶屋の男は、持参した酒を飲んでしまえば良いと言う。太郎冠者は再三断るが、ついには誘惑に負けて、伯父の土産にするはずだった酒の樽を開けてしまう。1杯、また1杯、茶屋の主人にも……謡いながら舞いながら盃を重ね、いつしか樽酒を空けてしまった。だが、酔って気分の大きくなった太郎冠者は、木1駄を茶屋にやった上、残り5駄は売ってくれと言い残し、わずかに炭6駄を積んだ牛6頭で伯父の家に向かう。
 伯父の家に着いた太郎冠者だが、まだ酔いがさめず、受け答えもおかしなものとなってしまい、自分の主人から伯父に宛てられた手紙をようやく渡す。手紙には「木6駄、炭6駄そして手酒」を進上するとあるので、伯父は不審に思い太郎冠者に荷物はどうしたと尋ねる。太郎冠者は最初知らないふりをするが、自分の名前を最近「木六駄」に変えたので、「木六駄」(という男)が「炭六駄」を持参したという意味だ、と嘘をつく。だが、さらに手酒はどうしたと問い詰められ、老の坂の茶屋で飲んでしまったことを白状し、叱られながら逃げていく。
 ○太郎冠者物の大曲で、橋懸り・本舞台全体を使って、牛12頭を追い立てていく。大雪と牛が見えてくるかが太郎冠者1人の演技にかかってくる。
 ○太郎冠者が酔って、茶屋の団扇を借りて舞うのが「鶉舞(うずらまい)」、古くは「柳の下」であったが、九世三宅藤九郎が鷺流に基づく演出を加え、和泉・大蔵流ともに「鶉舞」になっている。
 ○大蔵流山本東次郎家の台本では、「炭六駄」がなく、牛も最初から6頭。太郎冠者が茶屋で酔いつぶれている所を、迎えに来た伯父が見つける形になる(追い込み留めは他流と同じ)。
 
 
■禁野(きんや) 大名狂言・在地大名物
 大名  急ぎの者
 気候も良いので禁猟区に立ち入り密猟をしようと大名は思いつく。しかし、あいにく大名の周りで世話をする者達はみな出払っていた。しかたなく、大名は1人で出かけ、丁度良い家来が見つかったら、それを家来として物などを持たせようと考える。丁度そこへ、道を急ぐ者を見つけ、話しかける。しかし、その男は大名の横柄な態度に怒り、逆に猟のために大名が用意しておいた弓矢を取り上げてしまう。男は弓矢ばかりか大名の刀・着物まで剥ぎ取り、立ち去ってしまう。後に残された大名は、かつて、長柄(ながら)の橋を建設中に、人柱にさせられた人の話を思い出し、余計なことを口にしなければ良かったと後悔し、寂しく帰っていく。
 ○大蔵流では、男達が密猟者を探しに禁猟区へ行くと、ちょうど大名が密漁に来ていて、そこで禁野のいわれを語るという形で、構成が大きく異なる。
 ○昔、長柄で橋を掛けようとしたが、何度やっても流されてしまう。何か良い案はないかと考えるうちに、1人の男が人柱が必要だと言い出した。人柱の犠牲には誰を捧げるかということになった時、言い出した男が良かろうとなり、結局その男が川に立てる橋の人柱となったという話。余計なことを言った人が損を見るという諺。
 ○長柄の人柱にされた男の娘がその地で詠んだとされるのは、「もの言はじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射られざらまし」というもの。
 ○前半は昆布売(こぶうり)や二人大名(ふたりだいみょう)に類似する。
 
 
■杭か人か(くいかひとか)/大蔵流ナシ 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 主は常日頃自分が外出している時に、太郎冠者がさぼって外に出歩いていると聞き、出かけるふりだけして、庭で様子を見ている。主のいなくなった屋敷では、太郎冠者が暇をもてあまし寝転がって謡を歌う。それにも飽きたので、棒を持って夜回りに出かける。暗闇でなにやら影が見え、こわごわ様子を窺う。太郎冠者は、人影かあるいは明るいうちに打っておいた杭かと考え、「杭か人か」と尋ねる。その影は「杭」と答えるので、「杭だったか」と太郎冠者は安心する。杭ならばもっと打って短くしておこうと近付くと、実はその影は、庭に隠れていた主であり、怒られて逃げ出す。
 ○太郎冠者の1人での台詞が長く、前半は寝転がっての謡が聞きどころ。また後半は影に怯える様子や「杭」と答える相手に安心してしまうところがみどころ。
 ○闇に怯える太郎冠者には空腕(そらうで)などもある。
 
 
■鬮罪人(くじざいにん) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主  +立衆
 祇園会(ぎおんえ)の山鉾準備の当番になった主は太郎冠者に命じて、今年の出し物を決めるために町の男たちを呼ぶように命じる。日頃太郎冠者が口を出すことに苦々しく思っていた主は、相談に口を出すなと釘を刺す。やがて、街の男達も揃い、山鉾の形を相談する。主や男たちは色々と案を出すが、その度に太郎冠者が悪い点を指摘する。そこで太郎冠者にどのような形がよいか尋ねると、罪人を鬼が責める形が面白いという。主はそれに反対するが、街の男衆が賛成し、それに決まる。やがて、籤引きで配役を決めると、罪人が主、責める鬼が太郎冠者になってしまう。いざ山鉾の稽古に入ろうとするが、責められ役の主は面白くない。ついには怒り出して、責め役の太郎冠者を追いかけ、男たちもそれをなだめようと追いかける。
 ○京都祇園祭の山鉾巡行に題を取った珍しい曲。
 ○いくつか挙げられる山鉾の形態は流儀によってやや異なるが、「毎年出るので面白くない」と太郎冠者が指摘する<鯉の滝登り>は現在の祇園祭でも見られる<鯉山>である。
 ○和泉流では止動方角(しどうほうがく)・武悪(ぶあく)と並び「三主」と呼ばれ、怖い主人の典型とされる。
 
 
■口真似(くちまね) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主  知り合いの男
 良い酒が手に入った主は、太郎冠者に命じて酒を酌み交わす似合いの相手を探して来いと命令する。太郎冠者は仕方なく、1人の知り合いを連れて帰るが、実はその男、酒の評判が極めて悪いのだった。主はその男を何とか追い返したいと思い、男をひとまず座敷に上げた後、うまく言い訳をするために、太郎冠者に向かって自分の動きを真似するように言う。
 すると太郎冠者は、細かい挨拶、作法まで主の動きにあわせてしまう。怒った主が太郎冠者を引き倒すと、太郎冠者は今度は客人に掴みかかり、倒してその場を去ってしまう。
 ○真似をすることが周りを巻き込んでしまう曲に、和泉流のみの口真似聟(くちまねむこ)や、咲嘩(さっか・大蔵流は察化)などもある。
 
 
■首引(くびひき) 鬼狂言
 鬼  為朝  姫鬼  +立衆
 保元の乱で大暴れをしたと伝えられる実在の人物・源為朝<みなもとためとも>を扱った狂言(大蔵流では鎮西ゆかりの者ということで為朝と関係があることを暗示させるのみ)。
 為朝がある日、播磨の印南野<いなみの>を通りかかったところ、鬼が現れる。鬼は娘に人間の食い初めをさせるためにこの為朝を選ぶ。姫鬼は為朝に襲い掛かるが、逆に叩かれて泣き出してしまう。その後、力比べをするが、なかなか為朝に勝てず、最後は首を引き合う力比べとなる。劣勢の姫に加勢をさせようと、親鬼は手下の鬼どもを呼び寄せ、姫の後ろから引かせるが、それでも為朝に引きずられてしまう。為朝は急に綱を外し、勢いを失って倒れる鬼どもを尻目に橋掛かりを幕まで逃げていく。
 ○「首引き」とは、向かい合った二者の首に輪になった綱を巻き、それを引き合うのであるが、狂言の舞台では綱が様式化されている。
 
 
■栗焼(くりやき) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 ある日、主人は到来物があると言い太郎冠者に栗40個を見せる。丹波の伯父(大蔵流では「さる人」)からの頂き物であり、早速皆にふるまうため、太郎冠者に命じて栗を焼かせる。見事な栗の焼ける匂いがあまりに美味そうで、太郎冠者は思わず1つ試食をしてしまう。すると、あまりの美味さに、さらに1つ、また1つと全部食べてしまう。困った太郎冠者は言い訳に、竃の神様が現れたので、神様の一行36人に焼きたての栗を進上し、その代わりに富貴を約束してもらったと言う。主はいったん褒めるが、残り4つの栗はどうしたと詰め寄る。太郎冠者は、1つは虫食い、残り3つは栗を焼く時の常套で、いつの間にか消えてしまったと答え、つには主に叱られる。
 ○栗を焼く型からつまみ食いまで、栗の焼ける擬音も含めて、太郎冠者の独演となり、最大のみどころ。
 ○焼いている栗がなくなる時のことばは「逃げ栗・追い栗・灰紛れ」というもの。
 
 
■鶏猫(けいみょう) 集狂言・親族物
 刑部三郎(藤三郎) 大名 太郎冠者 次郎冠者 三郎の子
 常日頃愛玩していた猫がいなくなった大名は高札を立てて、猫の行方を知らせた者には勲功を思い通りに与えるという触れを出す。刑部三郎の子(藤三郎の子)は、親がその猫を殺したことを知っていて、もしかしたら他人がそれを知らせるかもしれないと考え、それよりの先に大名に仔細を話す。三郎は捕まえられ、大名は猫を殺した罪で三郎を殺そうとする。そこへ子供が止めに入り、勲功は「親の命を助けること」と頼む。子供の熱意に心打たれた大名は、三郎をも許し、めでたく舞を舞って親子は帰っていく。
 ○「褒美は望むまま」という高札のことばを信じ、親が猫を殺したことを密告し、しかも、褒美には親の罪を許すことを願うという、利発で冷静な役を子役が演じる。狂言らしい面白さは皆無であり、子供の親への愛情が見せ所。
 ○大蔵流では藤三郎を捕まえるために次郎冠者とともに三郎冠者の役が出る。
 ○刑部三郎(藤三郎)が猫を殺した正当性を語るために引く、羊盗人の故事は能の番外曲『羊』と類似する。
 ○和泉流ではシテが刑部三郎、大蔵流では藤三郎、また大名は和泉流では隠岐の何某、大蔵流では高野(河野)の何某。
 
 
柑子(こうじ) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 珍しく「3つなり」に実った柑子(ミカンの1種)を人に振舞おうと主は思い立つ。「そういえば昨晩、酒の席で太郎冠者に預けた……」と思い出し、早速太郎冠者を呼びつけ、柑子を持ってくるように言いつける。太郎冠者は、すでに柑子を食べてしまっていて、持ってくることができない。そこで言い訳を始める。1つは枝から落ちて転がったので食べてしまった、また1つは潰れてしまったので食べてしまったという。最後の1つはと尋ねる主に対し、太郎冠者はそのことについてかなしい話がある、と言い、源平の合戦で伝えられる俊寛僧都の島流しの話をする。「丹波少将成経と平判官康頼は赦免によって島から返されたが、俊寛1人が島に残された。3つの柑子のうち残された1つは俊寛と同じ思いであったろう……」と説明すると、主もしんみりとしてしまう。しかし、ふと思い返し、結局最後の1つはどうなったと主が問い詰めると、平家の話なので「六波羅に納めた(腹に収めた=食べた)」とへたな言い訳をして主に叱られる。
 ○1つ目の柑子は、皮を剥いて筋も取って食べる、2つ目は潰れてしまったので、皮ごとかぶりつく。その食べ方の様子が面白い。
 ○能『俊寛』は島に1人残された俊寛の悲しみを描くが、狂言ではこの悲劇を、駄洒落にしてしまうところにおかしさがある。たかが柑子を食べた言い訳が平家語りになってしまう大袈裟振りがみどころ。
 
 
■膏薬練(こうやくねり) 集狂言・商人物
 上方の膏薬練  鎌倉の膏薬練
 名人を自認する鎌倉の膏薬練は、上方に居る名人と対決するため旅に出る。ちょうどその頃、名人を自認する上方の膏薬練も鎌倉の名人の噂を聞き、旅に出る。2人は偶然旅に途中で出会う。2人はまず互いの膏薬練としての系図を自慢しあい、次に膏薬の調合品を自慢しあう。しかし、決着がつかないので、膏薬の吸い較べを始める。双方実力伯仲するが、最後には上方の膏薬練が勝ち、立ち去る上方の男を鎌倉の膏薬練が追いかける。
 ○膏薬練としての系図自慢は、鎌倉が源頼朝の名馬生食(いけずき)が逃げた時に、膏薬で吸い寄せたというもの、一方の上方は清涼殿(大蔵流は六波羅邸)の庭に置く巨大な石を、膏薬で吸い付けて動かしたというもの。
 ○膏薬の調合品は、蚤の1尺8寸の牙、空を飛ぶ胴亀、雪の黒焼きなど、現実にはありえない物を列挙する。流儀によって異なる。
 
 
■小傘(こがらかさ)/大蔵流ナシ 出家狂言・俄出家物
 僧  田舎者  新発意  田舎者たち  尼
 田舎の男が村の草堂の堂守りを探しに出かける。一方、博打で全財産を失った男が俄出家となって人を騙す算段をする。もともと召し使っていた男を弟子の新発意に仕立て、からかさを持たせて2人で旅立つと、ちょうど堂守りを探していた男と出会う。田舎者の勧めに従い、草堂へと赴く2人であったが、もともと僧侶の修行をしていないので、経を読むことすらできない。しかし、博打場で謡っていた小歌にお経らしい節を付けてとなえれば騙せるということで、草堂に入る。
 僧を連れてきた田舎者は辺りの者たちを呼び寄せ、早速法事を頼む。僧が参会者に供養の施物を要求すると、まず尼が小袖を捧げる。ついで、最初の男が小さ刀を捧げ、他の男たちもそれに倣う。僧と新発意はもっともらしく節を付けて、小歌を謡う。そしてしだいに踊念仏のように、辺りを回りながらとなえると、男たちもやがてそれにつられて踊念仏を踊り始める。皆が浮かれている間に、僧は新発意に供物をさらわせ、2人で逃げていく。浮かれていた男たちもようやく気付き2人を追いかける。後に残された尼も激しく悔しがりながら、さらにその後を追う。
 ○法事の場面では、男たちが供養の施物を捧げながら、それぞれの願をかける。この願の内容は固定していない。
 ○博打場で謡っていたという小歌は「昨日通る小傘が、今日も通り候。あれ見さいたいよ、これ見さいたいよ」。その後に「なーもうだ(南無阿弥陀仏)」を繰り返す。
 
 
■子盗人(こぬすびと) 集狂言・盗人物
 盗人(博奕打ち)  乳母  何某(有徳人)
 博打に入れあげた挙句無一文になった男が金持ちの家に盗みに入る。座敷に入ると様々な道具類があるが、そこに寝かされた赤子に気付く。赤子の可愛さに、盗人は盗みに入ったことも忘れて子供をあやす。赤子を座敷に寝かせた乳母が騒々しさに気付き、主人にそれを伝える。主人は怒って刀を振り上げるが、盗人は赤子を盾にして逃げ出し、主人がそれを追う。あとに残された乳母が赤子の無事を語り、赤子を抱いて幕に入る。
 ○盗人が子供(小道具の人形)を抱いて、ほぼ一人舞台の形で演じていく。
 ○子供をあやす場面は鬼継子(おにのままこ)にも見られる。子供のあやし方は現代と異なる所、共通の所があり、興味深い。
 
 
■木実争(このみあらそい)/大蔵流では「菓争」 替間狂言
 栗ノ精  橘ノ精  +立衆  +地謡  +囃子
 桜の盛り、橘の精は一族の花(柑橘類)の精を集めて山に花見にでかけた。この山に住む茄子の精は、無断で橘の精たちが入り込んできたことに腹を立て、怒鳴り込む。いったんは和解するが、花の咲き始めという言葉をめぐって言い争いとなり、茄子の精は叩き出される。しかし、茄子の精は一族の木の実の精を集め逆襲に出る。柑橘類の一族と木の実の一族とが一騎打ちで闘い合うが、両者譲らず、ついには大将同士(橘の精と茄子の精)の闘いとなる。そこに俄かに激しい山風が吹き、両軍とも震えて逃げ帰る。
 ○廃曲能『花軍(はないくさ)』の替間狂言。
 ○和泉流では茄子の精が登場するが、大蔵流では栗の精となる。
 ○柑橘類の精は<うそふき>の面が基本、一方、木の実の精は<賢徳>の面が基本となる。
 
 
■昆布売(こぶうり) 雑狂言・在地大名物
 昆布売り  何某(なにがし)
 供の者を連れずに外出した何某は、若狭の小浜からやってきた通りがかりの昆布売りをつかまえて、自分の太刀を持たせる供にしようとする。貴人に献上する「召しの昆布」を売りに行かねばならない昆布売りは太刀を持ったことがなく、おかしな持ち方をしては何某に叱られる。ようやく太刀の持ち方を会得した昆布売りであったが、召使のように扱われることに腹を立て、逆にその刀を抜いて何某を脅す。何某から小刀を奪い、さらには自分が昆布を売る時のように謡いながら昆布を売るように命ずる。何某は言われたとおりに謡いながら昆布を売るが、昆布売りは太刀も小刀も奪ったまま逃げていく。
 ○現行和泉流では謡い節・浄瑠璃節・踊り節と、違ったふしをつけて何某に謡わせる。大蔵流では平家節・小歌節・踊り節となる。
 ○類似の構成の曲に禁野(きんや)や二人大名(ふたりだいみょう)がある。
 
 
■咲嘩(さっか)/大蔵流は「察化」 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  すっぱ(さっか)  主
 連歌の初心講の宗匠になってもらうために、主は都の伯父を呼び寄せようと、太郎冠者に呼びに行かせる。太郎冠者は伯父がどこに住んでいるとも、またどんな人とも知らずに都へ行ったため、辺りを大声で呼びながら歩き回る。そんな太郎冠者を見た、「みごひのさっか」と呼ばれるすっぱは太郎冠者を騙して、主の屋敷に赴く。太郎冠者の連れてきた男を見て、主はすっぱがやってきたことを知る。すぐに帰せば後でうらまれるかもしれないと、主は太郎冠者に自分の真似をして応対するように命じる。主が太郎冠者に酒の用意をさせようとすると、太郎冠者はそっくり同じことをすっぱに命じる。怒った主が太郎冠者をうち倒して去っていくと、太郎冠者もすっぱをうち倒して去ってしまう。
 ○太郎冠者とすっぱとの対話の中で、小鳥愛好の風俗が垣間見られる。
 ○主の口真似を太郎冠者にさせる展開は口真似(くちまね)や口真似聟(くちまねむこ)と類似する。
 
 
■薩摩守(さつまのかみ) 出家狂言・旅僧物
 僧  船頭  茶屋の主人
 ある僧が天王寺参詣の途中で茶屋に誘われるままに茶を1杯飲む。そのまま出立しようとすると、お茶の代金を請求される。驚いた僧は、旅の途中で金がないと白状する。茶屋は哀れみ、天王寺に参詣する時にどうしても渡らなければならない神崎の渡しで船賃が必要であることを教える。僧侶はそれを聞いて、その場で天王寺の方を拝むだけで帰ろうとする。茶屋は、神崎の渡し守が秀句好き(洒落好き)であることから、船にタダで乗る方法を考え出す。船に乗ったら、「船賃は平家の公達(きんだち)」(大蔵流では「薩摩の守」)と言うように教え、下船の際に「その心は」と問われたら「忠度(ただのり)」と答えれば、面白がってタダにしてくれるだろうと言う。
 僧は船に乗り、茶屋の主人に教えられたように、なぞかけ文句を言う。やがて、対岸に船が着き「その心は?」と聞かれるが、肝心の「ただのり」が思い出せない。答を急かされた僧侶はことばにつまって「ただのり」ではなく「青海苔の引き干し」と答えてしまい、船頭に叱られる。
 ○無賃乗船の「タダ乗り」に平清盛息子「忠度(ただのり)」をかけた言い訳、「ただのり」と音の似た「あおのり」と答えるオチが面白い、言語遊戯性の高い曲。
 ○川を渡る場面は、船頭の舟をこぐ所作、船に揺られる僧侶の所作があり、息の合う動きがみどころとなる。
 
 
■佐渡狐(さどぎつね) 御百姓狂言・年貢物
 佐渡の百姓  越後の百姓  奏者(取次ぎ役人)
 佐渡の百姓と越後の百姓とが、それぞれ今年の年貢を納めに都に向かう途中で行き会い、2人は連れ立って出かける。2人が話しているうちに、佐渡に狐が居るかという話になり、「狐は居る」という佐渡の百姓と「居ない」という越後の百姓と意見が対立する。それならば、年貢を納めるついでに奏者に判断してもらおうと刀を賭ける。
 都に着き、年貢を納めた2人は早速佐渡に狐が居るかの判断を奏者にしてもらう。佐渡に狐が居ないことを佐渡の百姓は知っていたが、いまさら言葉を改めるわけにもいかず、奏者に賄賂を贈り、狐が居ると言ってもらうことにする。また狐を知らない佐渡の百姓は、狐の姿かたちを教えてもらう。やがて、2人を前にして奏者が判断することになったが、奏者が「佐渡に狐は居る」と判定した奏者の言葉に、越後の百姓は納得がいかない。狐の尾の形や毛の色などあれこれ問うが、佐渡の百姓は奏者に教えられたとおり答え、なんとか切り抜ける。しかし帰り道で狐の鳴声はと聞かれ、教えてもらっていない佐渡の百姓はそれに答えられず、嘘が露見、越後の百姓は賭けていた刀を奪い取り、去っていく。佐渡の百姓は返してくれと追いかける。
 ○奏者に狐の特徴を教えてもらっていながら、佐渡の百姓はそれをしっかりと覚えられずしどろもどろとなり、その度に奏者が陰で教え直す。聞いたことを憶えられない点は、萩大名(はぎだいみょう)と類似
○狐の鳴声がわからない佐渡の百姓は、困って、鶯(または鶏)の鳴きまねをする。鶯の鳴声は「月・星・日」という。
 
 
■猿聟(さるむこ)/大蔵流ナシ 替間狂言
 吉野の聟猿  嵐山の舅猿  妻猿  供の猿たち
 吉野山の聟猿は妻の実家である嵐山の舅猿に会いに出かける。舅猿は歓迎し、宴を開く。
 ○能『嵐山』の間狂言の替えの型。登場人物は猿の面をかけて登場し、名乗りや謡などを除き、すべて「キャーキャー」といった猿の鳴きまねで行う。
 ○大蔵流では本狂言に入っていないが、独立した作品として上演されることもある。
 
 
三人片輪(さんにんかたわ) 集狂言・すっぱ物
 博打うち(唖)  有徳人  博打うち(座頭)  博打うち(躄)
 ある有徳人が思い立って、身体に障害の有る者を召し抱えることにし、高札でその旨を知らせる。そこへ通りかかったのは、賭博で負けて何もなくなった男。1人目の賭博好きの男は目が見えない振りを、2人目の男は足が不自由な振りをする。3人目の男は話すことができない振りをする。
 有徳人はそれぞれの男に、蔵の番を任せ外出する。暇になった男は屋敷を歩き、別の男が居ることを発見する。見れば、賭博場で見知った顔であり、すっかり本性を表し、酒蔵から酒を持ち出して飲み始める。気分よく飲んでいるところへ主人が帰宅し、男たちは慌てて元の姿に戻ろうとするが、酒に酔っていることもあり、自分がどのような障害を持っている振りをしていたのか忘れてしまう。ついには嘘が露見、主人に怒られて逃げていく。
 ○シテの話すことができない振りをする男は強さを、目の見えない振りの男は柔らかさ、足の不自由な振りをする男は軽妙さが求められる。
 ○それぞれ番を任される蔵は、軽物(かるもの)蔵(絹織物)・酒蔵・鳥目(ちょうもく)蔵(金)。
 ○酒宴の場面で謡うのは様々な狂言小謡で、最後にシテが謡うのは、能「景清(かげきよ)」か「鵜飼(うかい)」の一節。
 
 
■三番叟(さんばそう)/大蔵流では「三番三」 翁猿楽
 三番叟  面箱持  +囃子
 祝典曲『翁』の中で狂言方が行う演目で、狂言の会では「三番叟」の部分を特に行う場合がある。揉ノ段と鈴ノ段がある。揉ノ段は華やかで力強いお囃子の中、力強く舞う。「おおさえ、おおさえー、おお、喜びありやー、喜びありやー」と始まり、その後「や、はんは」の声とともに大地を踏み鳴らすような舞を行う。鈴ノ段は寿福を祈り、飄逸に舞う。急調子のお囃子とともに、華やかさを増して舞い上げる。
 ○揉ノ段後半の、笛柱から目付柱にかけて跳躍する舞を烏飛ビと言う。鈴ノ段の鈴を振り鳴らす動作は種蒔きを象徴させ、両段ともに、五穀豊穣を寿ぐ曲となっている。
 ○地方芸能としても三番叟は残っているが、現在の狂言方が行うものは、それらよりもかなり洗練されている。
 ○歌舞伎の演目にある「〜〜三番叟」はこの曲が原型となっている。
 
 
■磁石(じしゃく) 集狂言・すっぱ物
 すっぱ  田舎者  宿の主人
 遠江の田舎者が口論の解決のために(大蔵流では都見物)都に出かける。大津辺りで人売りをなりわいとする男(すっぱ)が現れ、さも出身地のゆかりの者であるとだまし、人売りに使う宿へ連れ込む。田舎者が寝入っている間に、すっぱと宿の主人は、人身売買の相談をする。ところが、ふと目を覚ました田舎者はその相談を聞いてしまい、逆にそれを利用することを思いつく。明け方、宿の主人が用意した金を盗み出し、まんまと逃げる田舎者。計られたと知ったすっぱは太刀を持って、田舎者を追いかける。すっぱは太刀を振り回すが、田舎者はその刀を飲みたがる。不審に思ったすっぱがそのわけを尋ねると、自分の正体は磁石の精であり、鉄分が必要であると告げる。ためしに太刀を鞘に収めると、男は苦しがって死んでしまう。驚いたすっぱは、男を殺してしまったことを後悔し、太刀を枕元に供え、蘇生を祈る。田舎者は急に起き上がり、供えられた太刀を掴み、逆にすっぱを脅す。2度までも騙されて悔しがるすっぱであるが、後の祭りで、田舎者に追われて逃げていく。
 ○田舎からやってきた男を騙すため、出身地のゆかりの者であると信じさせるすっぱの口調が笑いを誘う。
 ○田舎者が、本当に磁石の精であるかのように思わせる作中での演技がみどころ。
 
 
■二千石(じせんせき) 小名狂言・抜参り物
 主(しゅう)  太郎冠者
 無断で外出した太郎冠者に腹を立てた主は、太郎冠者を責める。しかし、話を聞くと、太郎冠者は都に行っていたというので、都の様子などが聞きたくなって許す。太郎冠者は都で流行っている「二千石」の謡を覚えてきたと言って、その謡を披露する。主はその謡を聞くと不機嫌になり、次第に怒り出す。
 昔、源義家が衣川の合戦で安倍貞任の反乱を鎮めた時、主の先祖が祝言に「二千石」の謡を謡い、まもなく乱を平定できたので、その恩賞として「宇多(歌)の庄」を下され、一族の繁栄の礎となった。その時謡った謡が「二千石」であり、屋敷内に祀って大切にしているのに、都でその謡が流行ったということは、太郎冠者がこっそり広めたのだろう、と思って主は怒ったのだった。
 いくら太郎冠者が否定しても主の怒りはおさまらず、刀に手を掛けるが、突然太郎冠者が泣き出す。先代の時から仕えていた太郎冠者は先代が怒った時の手元と今の主の刀を持った手元があまりに似ていて、昔が懐かしくなって落涙したと言う。父に似ていると言われた主も嬉しさに泣き出すが、「子が親に似る」のはめでたいことだと思いなおし、怒りも解いて、太郎冠者共々に高らかに笑う。
 ○衣川の合戦に関する語りがあり、聴かせどころとなる。
 ○「二千石」の謡とは「二千石の松にこそ、千とせを祝ふのちまでも、その名は朽ちせざりけれ」というもの。「二千石」は中国(漢)で地方長官を指すことば。
 ○主をシテとして太郎冠者が都の様子を語るという展開には文蔵がある。また太郎冠者をシテとする曲にも同様の展開を見せるものがある。
 
 
■止動方角(しどうほうがく) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主(しゅう)  伯父  馬
 茶会が流行っているということで、主は東山の茶会に参加しようとするが、肝心の茶がないということで、常日頃、あれこれと所望している伯父に壺に詰めた茶・太刀・馬を借りようと、太郎冠者を使いに出す。太郎冠者は気を使ってなんとかそれらを借り出すことに成功する。馬は非常に立派なものであったが、実は欠点があり、馬の後ろで咳(すわぶき)をすると突然暴れだすというものであった。一方、主は太郎冠者の帰りを待ちかね、途中まで探しにきている。首尾よく借りてきた太郎冠者に対し、主は早速馬に跨り、またもや叱りつける。これには太郎冠者も腹を立て、わざと馬の後ろで咳をする。とたんに馬は暴れだし、主は馬から振り落とされる。馬をなだめる方法(呪文)を伯父から聞いていた太郎冠者は見事に馬を鎮め、主の代わりに馬に乗っていく。将来人を使う時の稽古だと言って、太郎冠者は歩く主に対し、日頃の不満をぶちまけるように、主人の怒った所を馬上で真似する。このことにまた腹を立てた主は、太郎冠者を引きずりおろし、またもや馬に乗るが、太郎冠者も再び、馬の後ろで咳をする。暴れる馬を鎮めようとする太郎冠者であったが、馬を鎮める代わりに、主人に乗ってしまう。太郎冠者は怒った主に追いかけられて逃げていく。
 ○馬は黒頭に<賢徳(けんとく)>の面、茶色のモンパ姿で現れ、四つんばいで歩く。馬の後ろに立ち、乗った形を見せる人間との呼吸が1つの見所。
 ○和泉流では武悪(ぶあく)・鬮罪人(くじざいにん)と並んで<三主>と呼ばれ、シテではないものの、怖い主人としてその力量が問われる作品。
 
 
■痺(しびり)/大蔵流では痿痢・痿痺 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 堺まで買い物に行かされそうになった太郎冠者は、持病の痺れが起こって歩けないと嘘をつく。仮病に違いないと推測した主は、伯父の所に招かれて色々とご馳走になるところだったが、病気ならば連れて行けないと、逆に太郎冠者を騙す。伯父のご馳走に目がくらんだ太郎冠者は、この持病は自分が言い含めたならば治ると言い、足に向かって痺れが治るように諭す。主に向かって、痺れは治ったと言うと、主はまた堺への買い物を命じる。太郎冠者はそれを聞いて、また痺れがぶり返したと答え、主に怒られ、追われて逃げていく。
 ○この曲の太郎冠者は、年少のものが演じることが多い。
 
 
■清水(しみず) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 主人から最近流行している茶の湯に使うための水を「野中の清水」に汲みに行くように命じられた太郎冠者は、行くのが面倒になり、預かった主人秘蔵の手桶を投げ出し、鬼に襲われたと嘘をついて帰ってくる。秘蔵の手桶を失ったことを惜しむ主人は自ら野中の清水に向かう。嘘の露見を懼れた太郎冠者は先回りして、鬼に扮装し、主人を脅す。太郎冠者に酒を飲ませること・夏には部屋に蚊帳を吊らせること・金払いをよくすることを約束させられた主人はほうほうの体で逃げ出す。やがて、帰り道で太郎冠者と出会うが、最前の鬼の脅す声と、太郎冠者が真似をする鬼の声とがあまりにも似ていることに気付いた主人は、逆に太郎冠者をやりこめ、逃げ出す太郎冠者を追いかけていく。
 ○「野中の清水」は播磨国印南野の湧き水で、平安末期以降、名所歌枕として逢坂の関の清水・朧の清水などと並び、名水のイメージが確立されていった。
 ○播磨の印南野は首引(くびひき)で鬼の住む土地として描かれている。
 ○鬼に扮する時に鬼の面をつけるように、面を化ける小道具として使うのは、仏像に化けたすっぱを描く仏師(ぶっし)などでも見られる。
 
 
■舎弟(しゃてい) 集狂言・親族物
 弟  兄  物知り
 兄がいつも自分のことを「しゃてい」と呼んでいることを疑問に思った弟は、物知りにその意味を問いに行く。その年になって「舎弟」も知らないと呆れる物知りは悪戯心を起こし、舎弟とは盗人のことだと嘘を教える。日頃、自分のことを盗人呼ばわりしていたのかと腹を立てる弟は、兄に向かってかつて茶碗や牛を盗んだことを挙げたて、喧嘩となる。
 
 
■宗論(しゅうろん) 出家狂言・旅僧物
 浄土僧  法華僧  宿主  (+囃子)
 京都の法華僧が身延山への参詣の帰り道、同じく都に帰ろうとする僧に会い、言葉をかけて、都まで同道する約束をする。しかし、その僧は法華宗と仲の悪い浄土宗の者で、善光寺参詣の帰りだったことを知る。一緒に帰る気の失せた法華僧はなんとか言いつくろって、浄土僧と離れようとするが、浄土僧は宿まで追いかける。
 言い争っても埒があかないと、宗旨に対する意見交換で争おうとする。各宗の文句を珍解釈で解き明かすが、それでも決着がつかないまま、いつしか2人は寝入ってしまう。
 翌朝、いつものように読経を行うが、これもお互いに負けられないと声を張り上げて経を読む。いつしか2人は夢中になり、ふと気付いた時には、自分の宗派の経文ではなく、相手の句を読んでいたことが判明。釈迦の教えには隔てがないことを悟り、2人は和解して去っていく。
 ○法華僧は、直情型で荒々しさを、浄土僧は陰性で理屈っぽさを出す曲で、同じような動きの中にも、双方の特徴を出した所作が面白い。
 ○浄土僧の念仏は「なーもうだ」、法華宗の題目は「れんげーきょう」。これを繰り返すうちに、自分の文句と相手の文句を間違えて唱えてしまう。
 ○歌舞伎舞踊「連獅子」では、獅子が出現する前の間狂言として用いられる。
 
 
■末広かり(すえひろがり)/大蔵流山本東次郎家では「」末広(すえひろがり)」 大名狂言・果報者物
 果報者  太郎冠者  すっぱ  (+お囃子)
 今年ほどめでたい正月はないという果報者は、客を招き、土産に「末広がり」を配ろうと、太郎冠者に「末広がり」の用意があるか問う。「末広がり」はないと応えるので、早速太郎冠者に命じて、好み(条件)に合った「末広がり」を都に買いに行かせる。ところが、実は太郎冠者は「末広がり」と呼ばれるものがなんだかわからず、通りがかりの人に向かって「末広がり」を買おうと声をかける。そこに通りがかったすっぱ(騙り者)は田舎者を騙して金をまきあげようと、「末広がり」売りだと嘘をついて声をかけ、本来求めるはずの扇ではなく傘を売りつける。太郎冠者は主に言われたように、好みを言うが、傘はその条件にもピタリと合っている。「末広がり」が「傘」だと信じた太郎冠者は法外な値段を払って帰ろうとする。すっぱは太郎冠者を呼びとめ、「主というものは機嫌の良い時も悪い時もあるから、機嫌の悪い時にその機嫌を直す囃しを教えよう」と囃し文句を教えて去る。
 太郎冠者は「末広がり」が「傘」だと信じて家に戻るが、変なものを買わされたと果報者は怒り、太郎冠者を追い出す。反省した太郎冠者は、すっぱに教えてもらった囃しを、傘をさしながら謡い出す。その囃しの文句に興味を持った果報者は機嫌を直し、太郎冠者を家に呼び戻し、2人してその囃しを謡う。
 ○「末広がり」とは、閉じた状態でも先が開いた(ハリセンのような形)の扇で、中啓(ちゅうけい)と呼ばれるもの。
 ○果報者が「末広がり」の好みとして要求した条件は、紙の状態・骨の滑らかさ・要のしっかりしたこと・戯れ絵(ざれえ)がざっと描かれていることの4点。
 ○主人の命じた条件に合うものを捜し求めて太郎冠者が失敗する類話に、蝸牛(かぎゅう)・張蛸(はりだこ)などがある。目近(めちか)は太郎冠者・次郎冠者2人して間違える末広かりの類曲。
 
 
■酢薑(すはじかみ) 集狂言・商人物
 酢売り  薑売り
 津の国の商人は薑を売りに都に上る。ちょうどその頃、和泉の国堺の商人が酢を売りに都に上って薑売りに出会う。薑売りはいばって自分に礼を尽くさなければ、酢を売ってはならないと言って、自分の薑売りの由緒を語る。酢売りも負けじと自分のところの酢売りに由緒を語る。なかなか決着がつかないので、薑売りは互いに秀句(洒落)を言い合って、上手く出来た方が勝ちにしようと持ちかける。酢売りも秀句には自信があり、応戦する。秀句の争いでもなかなか決着が付かず、酢と薑はもともと縁の深い食べ物だからと仲直りをする。2人は共に仲良く商いをすることを約束し、笑って別れる。
 ○酢売りは竹筒を背負う形で登場し、薑売りは苞を背負って登場する。薑は現在は「生姜」のことを指す場合が多いが、この曲では「山椒」のこと。
 ○薑売りは山椒にちなんで、ことばの端々に「から(辛)」を織り込む。また酢売りは、「す」を織り込むように話す。
 
 
■墨塗(すみぬり) 大名狂言・遠国大名物
 大名  女  太郎冠者
 遠国から訴訟のため都に来ていた大名が国に帰ることとなった。そのため、都滞在中に懇ろになった女に別れを告げなければならず、太郎冠者を連れて女の元を訪れる。女は別れを惜しんで泣き、大名もそれにもらい泣きをする。しかし、女は水入れの水を目の周りに付けて泣いているふりをしているだけであった。そのことに気付いた太郎冠者は、こっそりと水入れの水を墨に取り替える。女は気付かずに塗り続けるので、やがて顔が黒くなってしまう。泣き真似をしていただけだとようやく気付いた大名は別れの形見に鏡を渡す。鏡を見て自分が騙されたことに気付いた女は、逆に怒りだし、太郎冠者・大名の顔にも墨を塗りつけ、逃げ出した2人を追いかけていく。
 ○装束・舞台などに墨をつけないように細心の注意が払われる曲。
 ○近世には、見所(けんしょ)の見物人にまで墨を塗ったこともあるらしい。
 ○墨塗の滑稽譚は平貞文や『はいずみ』などにも見られる。
 
 
■宗八(そうはち)/大蔵流は「惣八」 出家狂言・俄出家物
 宗八  出家者  主
 ある家の主人が、召し使う僧侶と料理人を探すため高札を立てる。ちょうどそこへ料理人の仕事が嫌で出家したばかりの男が通りかかり、僧として召し抱えられる。また、宗八といって出家暮しが嫌で還俗し、料理人になったばかりの男が高札を見て、料理人を志願する。探していた召使が見つかり、早速、宗八には鯛と鮒(大蔵流は鯛と鯉)の料理を、男には般若心経(大蔵流は法華経)を読むことを命じる。しかし、精進料理は知っていたが、魚の扱いを知らない元僧侶の宗八は、魚を下ろすことができず、また、出家したての男は読経ができない。2人はお互いの身の上を話し、実は元はそれぞれ逆の立場だったことがわかる。男は以前の仕事のように手際よく魚を調理し、宗八は感嘆しながらその仕事を見る。やがて自分もと、経を読み始める。2人の仕事を見に来た主は、2人が仕事を交換していることに驚き、何事かと責める。慌てた宗八は魚を持って経文を読み始め、男はお経を魚のように調理し始める。「さてはすっぱ(騙り者)が家に入り込んだか」と怒った主に追いかけられ、2人は逃げていく。
○右手に包丁、左手に真魚箸(まなばし)を持った姿が面白い。また、中世の魚の調理法が垣間見られる。魚と包丁は小道具を用いる。
○経を唱える擬音・包丁捌きの擬音が聞きどころ。
 
 
■空腕(そらうで) 小名狂言・太郎冠者物
 太郎冠者  主
 日頃、嘘の腕自慢をしている太郎冠者を懲らしめてやろうと、主は暮れ方になってから淀まで買い物に行けと命令する。根が臆病な太郎冠者はなんとか行かなくてすむように言い繕うが、結局、太刀を借り受け買い物に行かされる。夜道を1人歩く太郎冠者はちょっとしたことでも怯えてしまい、誰もいない暗がりに向かって、「太刀を渡すから命だけは助けてくれ」と懇願するしまつ。様子を見に、後をつけた主が脅すと、あっさり太刀を差し出し、背中を打たれて失神してしまう。我に返った太郎冠者は最初自分が死んだものと思うが、生きていることに気付き、主の家に戻る。家では知らぬふりの主が買い物はどうであったかと聞くと、「途中で悪者の大群に会い、主から借りた太刀で必死に防戦をし、並み居る相手を次々と倒したが、ついには太刀が折れたので逃げ戻った」と偽る。主は太郎冠者の勇気を褒めておいて、先ほど取り上げた太刀を見せる。太郎冠者は消えたはずの太刀が戻っていて焦るが、「主のすばらしさに折れた刀が直って飛んで戻ったのでしょう」などと返答し、ついに主人に怒られて逃げていく。
 ○「空腕」とは「空腕立て」の略で、偽りの腕力自慢のこと。
 ○背中を打たれる場面では、太郎冠者は目を回して仰向けにひっくり返り、その後、幽霊になった面持ちで起き上がる。
 ○主人に語って聞かせる防戦の様子は、様々な型を見せる。
 ○暗闇に怯える太郎冠者を描いたものには、杭か人か(くいかひとか)などもある。
 
 
■太子手鉾(たいしのてぼこ)/大蔵流ナシ 小名狂言・抜参り物
 太郎冠者  主
 ある日、太郎冠者は主にだまって外出する。怒った主は問い詰めに太郎冠者の家を訪ねる。無断外出は許した主であったが、噂で、太郎冠者が貴重な品、聖徳太子ゆかりの鉾を持っていると聞いているので、このついでに見せて欲しいと所望する。主の問うままに、太郎冠者はそのいわれを語る。……昔、聖徳太子が物部守屋(もののべのもりや)を倒し、国を平和にした。またあばら家であるこの家で、雨が降ると雨漏りがひどく、この鉾の先で雨漏りの部分を押さえている。漏り家(もりや)の鉾なので「太子手鉾」と呼ぶのだ……あまりのくだらなさに主は太郎冠者を叱る。
 ○「守屋をとめる」と「漏り家を止める」とを掛けた洒落たオチの作品。
 
 
■竹の子(たけのこ)/大蔵流では「笋」と表記する家もあり 集狂言・耕作人物
 藪主  畑主  仲裁人
 畑主が自分の畑に生えてきた竹の子を喜んで取っていると、足の不自由な藪主が、自分