Oct/5/98/増結

★おはようございますの意 ★ギョ−カイ言葉洗礼の意 ★遊びにいらっしゃいの意 ★緊張するの意 ★この頃知っていた音楽知識(学校で習わなかったモノ) ★松山のミュージシャンその後の意
★ジャズを音大で志す事の難しさ ★街のミュージシャンとの出会い ★将来への修業 ★プロの必需品 ★初めてのビ−タ(旅の話し)鳥取"5ペニーズ" ★海の上でのハプニング(船のビータ)
日本の大学ってホント、ヒマなんですよねぇ(ホントはヒマじゃないんですけど)。これボストンのBerklee college of Musicに行ってから身に染みて感じました。ホント、アメリカの大学は高校や専門学校のように忙しい。比べて日本の大学は時間が有り余ってます。だから自分で勝手にやる事を決めてコツコツ無駄も含めてやるのには向いているかもしれませんね。偉大なる勘違いは時に役立つ事もあります。でも刺激が少ないのが難点ですねぇ。特に地方の学校程その難点が増えちゃうんですよ。刺激の数は人口集積度に比例する。もっとも大自然からの刺激は確実に地方に優るものはないのですが.....。っんで、その山の中の音大のお話から.......。
おっとその前に大切な人達との出会いを忘れちゃいけない。高校卒業の春休み(何か変だけど大学までの間の休みの事です。高校生改めって時期ですね)に初めてプロのヴァイブ奏者に会った。
ちょうど実家のある松山に帰省中、父親がNHKとかで共演した事のあるドラムの人を紹介してくれた。この日の事は今でもよく覚えてる。近所の繁華街のとある喫茶店(確かポエムロビーという名前だった)で待ち合わせ、そこに登場したのが堤宏史さん。「いゃ〜。そう、ジャズをねぇ、ほぅ、高校から、ウンウン、じゃあこうしましょうか。今夜カクカクシカジカで演奏してるから、一度遊びにいらっしゃい。ソシタラ、そこで紹介するって事で..........」終始ニコやかに語る。短く刈り上げた頭とサングラス、額の汗を拭う首に巻いた手拭い。しゃべり出すまでは恐〜い関係の人とも見えて"高校生改め"はかなり緊張してたのだが、まぁ、今までに出会った事のないタイプの人と会う時って皆そんなもんでしょ。

夕方、何となく落ち着かない"高校生改め"は教えられた場所へと市電に10分程ゆられ、教えられた入り口よりソコに侵入し、教えられた階段を上がって教えられたドアをノックする..........っと、その前にドアの横に貼られた紙に注目。「元気にあいさつは"おはようございます"」。???。今は夕方、かれこれ7時になろうとする頃。"高校生改め"はしばし考えてしまう。「こんばんわ」か「おはようございます」か。う〜ん。っと、ドア横で思案に暮れる"高校生改め"の横をスーっと一人の男がすり抜けノックも無しにドアを開き「おっはようござーいまっす」と入る。「おはようっす」「おはっおはっ」「う」「でした」・・・・。かなり省略形やなぜか完了形も聞こえるが「おはようございます」に反応している。ウワァ〜っ、こりゃ別世界だわ。う〜ん。困ったものだ。
でも約束の時間はきてるし思案してる場合じゃないから"コンコン"。「はぁ〜い」。「あのぅ、堤さんに会いに来たんですがぁ〜」「あっツーさん?ツーさんはまだやねぇ」「..っそっ...そうですかぁ」「もうすぐ来るおもうから待っとれば」「あっハイ」「そこに座っとればええよ」「っあっ、 はい」................。応対してくれた人はひたすらベースの弓に松ヤニを塗る。キコキコ..........。っか、っ会話途切れる.........。キコキコ..「ところで●●チャン、昨日どないしたん?」「あっ、アレな、あかんかった」。キコキコ「なんデ?結構良かったんちゃうん?」「いやイータカでね。よう見たらモノもドイヒなんよ」「ツェージュウやったかなぁ」「いやそれがツェーゲーなんよ」「ツェーゲー?そらイータカやわ」「そやろイータカなんよ」「買わんな」「買わんやろ」キコキコ。なんか"高校生改め"にはさっぱり分からぬ会話が続く。キコキコ。「ところでツーさん遅いねぇ」(アッ、こっちに話しが来る。ドーしよう。取りあえず)「そうですねぇ」。キコキコ。「おはよう」「おはよ」「う」「でした」...。どんどん入ってくる。どうやらこのベースの人がさっきから完了形を使っていることは分った。キコキコ。その内高校生改めには分からない会話が渦巻く。「ドイヒ」「ズイマ」「クーキャ」「ヒーコ」「ヤノピ」「パツラ」..........................。キコキコ。「おはよう!!」「おはようございます」「おは」「う」「でした」。やっと堤さんの登場。ホっとする。「ツーさんお客さん」「おぅ、来たね」「ハイ」「あっこっちがさっき話してた高校生の赤松君。こっちがヴァイブの藤井寛さん」「はじめまして」「初めまして」「あ、僕ナベです」「あっ初めまして、いや、さっきからお邪魔してます」。ベースの渡辺綱幸氏。つまり完了形の人。当然「でした」。
後でわかった業界用語/ドイヒ=ひどい ズイマ=まずい ク−キャ=客 ヒ−コ=コ−ヒ− ヤノピ=ピアノ パツラ=ラッパ(主にホーンセクションを示す) 他にも沢山ありますが今は恥ずかしくてこんな言葉も使わなくなりましたね。入門当時はこんな事でも随分専門的に感じたものでした。粋がってたのでしょう。
「早速だけど、じゃあコレ着て」と堤さん。「えっ?」て思う間もなくジャケットを渡され袖を通すないなや「じゃあ僕が2曲やるから2曲くらい遊んでって」と藤井さん。「何か知ってる曲、メモリーある?」「いや、そのう、ステラ・バイ・スターライトなら」「じゃあステラとブルースがいいね」って藤井さん。成りゆきに思わず「ハイ」と答える"高校生改め"。「じゃあ行こう。皆、高校生でジャズやってる赤松君です。今日は遊びにきました。」「宜しくお願いします」「よろしく」「う」「よ〜し」「でした」。「ピアノに座って適当に弾くふりしてて。もし知ってたら弾いてもいいよ」って藤井さん。「ハイ」。ステージまでの階段を降り、とにかくピアノに座る。1曲めはバンドのテーマらしい。分からずピアノを弾くフリをする。2曲め。何か小声で「サンマルゴ」「さんまるご」って聞こえる。横に居たベースの渡辺氏がしきりにピアノの上にある本を目で合図する。あっこの本にあるんだ!!。うわぁっ、どれだ?「サン マルゴ」。「SunだからS.S.S.S.っと」「えっ違う」ありゃりゃ、藤井さんのソロが始まってる。カッコいいなぁ。渡辺氏が小声で「さんびゃくご」。うひぁ〜っ"サン マルゴ"って曲の番号だったのかぁ。305.305っと、あったぁ〜。ジャン。終わっちゃったよ。トホホ。「よるせん」「ヨルセン」今度は小声で「ヨルセン」って聞こえる。なんだぁ?one,two,one-two-three-four、ジャーン。あっこれ聞いたことある曲だ。「夜は千の眼を持つ/The night has a thousand eyes」。そうか略して「ヨルセン」かぁ。感心してる間も無く、やがて藤井さんのソロになり、ボビー・ハッチャーソン顔負けの演奏に聞き惚れる。そうこうする内に藤井さんが振り向き「交代だよ」。ってドーしよう。
でもこうなったらドーにでもナれって開き直るが残念ながらプレッシャーは消えない。しかも今ではヴァイブの特権と思う客席に向って演奏法をアピールするそのスタンスが超プレッシャー。アカラサマ状態。ステラ・バイ・スターライトが始まり、後は何をやったか覚えていない。ブルースが終わってヘロヘロになってステージから上がると「でしたぁ」って完了形の渡辺氏。藤井さんや堤さんに「もう、超緊張しましたよ」って言うのがやっと。その後2setほどピアノに座って弾くフリをしながら藤井さんの演奏をじっくり聞いた。やっぱプロは違うなぁ。と"高校生改め"は自分の腑甲斐無さに気付くとともに大いにやる気を奮い立たせた18才の春でした。それ以来、大学の夏休み、冬休み、春休みとなれば、松山の実家に帰る毎にドラムの堤宏史さん、ベースのナベさんこと渡辺綱幸氏、ピアノの伊賀上ひろしさん、ドラムの高橋修さん、そしてヴァイブの藤井寛さんの居る"パレス"やライブハウスの"SUS4"に出没しては御迷惑をかけた。僕にとっては初めて接したプロ・ミュージシャンで見るもの聞くもの全て新鮮だった。
1)コードネームの初歩***コードとコードネームに関する知識は貧困。maj7と7、m7の区別がやっと。でも書き方っていっぱいあってMaj7だけでもM7、△7。m7だって-7とかmin7なんて混在。いわゆるド・ミ・ソは完璧でもその上の7thがmaj7なのかb7なのかを正確に把握していたかは怪しい。和音で書いたり7thは省略したりで高校生はかなり誤魔化した部分もある。
2)コードスケールの初歩***インプロ(即興演奏またはアドリブ)が譜面に書いてない事は知っていたが、まさかあんなに簡潔なメロディーとコードネームだけで演奏するとは高校生にはショック。この頃、そんな譜面を見てまずkey(調号)に注目。とにかくそのkeyの中で何かが行われているわけだから(シャープが何個とかフラットが何個とかね)、ひたすら曲の調性とそこにあるコードトーンの照合(まるで筆跡鑑定のように感じてた)が唯一のガイド。だから本当コードスケールなんて言葉知らず。「このDmaj7はイ長調の中にあるからシャープは3つで....えーっと、アレレ?なんで第4音がシャープになるんだ???。でもなんか気持ち良い響きだからコレは頂き!!。やったね。すると使える音はDとF#とAとC#にG#。う〜ん。Eはどうやろ。アッ、使えそう。っんじゃぁBはどうかな???。うぉ〜っ。なんとか使えそう。じゃあココはD.E.F#.G#.A.B.C#.Dと。ふむふむ」まるでパソコンの新しいマニュアル解析の如く。
その"パレス"も"SUS4"も今は無いが、現在も堤さんは勿論ドラムとこれもプロ級のマジックのパフォーマンスを見せるマジックハウスを経営、「でした」のナベさんは松山を中心に演奏活動を続け、ピアノの伊賀上さんは演奏活動とライブハウス"ムーングロウ(当サイトからリンク)"を経営、ドラムの高橋さんもライブハウス"グレッヂ"を経営、四国松山のジャズシーンを支えつつ(時々趣味に暴走しつつ)元気に活躍中。松山に行けば必ず彼等に会う事が出来る(もちろんムーングロウ・サイトに行けばいつでも会えます)。またヴァイブの藤井さんは東京に戻り演奏活動で多忙の日々を送られている。他にも松山のミュージシャンとの出会いがあるのでそれはこの後の本文で紹介するとして、取り合えず高校生改めの改め後に話しは進みます。

再び岡山県は山の中にある津山市。その街に唯一あるジャズ喫茶に通ってウン年。あの盛り上がりまくりの高校音楽科の寮も卒業とともに出なきゃならん。ファゴットのN森は一足先に東京のK音大、トランペット兼ヴォーカルのT橋も(現D徳寺)同じくM音大に行く等、そのまま上に上がったのは僕や例のニキビ面レ−バン男のH上とまぁ約半数。さてどうするか?そう、まず住む所の確保。同じ敷地内に高校、大学、そして例の高校音楽科寮があって、さすがにもうこのエリアは住み飽きた。「そうだそうだ」。っん? ならばチト離れた場所で気分を変えて住むのも悪くない。「そうだそうだ」。っん? 遠くてもチャリで通えば良い。「そうだそうだ」。っん? そこで学校とは正反対の位置にある物件を見に行く。近くに一応この辺りでは知られる観光地があり、チャリで通うと約20分。途中に河あり(都合良く)ジャズ喫茶あり、近辺に公園ありで、これは良い。「そうだそうだ」っん? さっきからそうだそうだって誰だ。人の後ろから着いて来るのは。ま、まさかお前...........。何の因果か知らないが、トホホ、ニキビ面レーバン男。この男と住む事になってしまった。まぁ寮時代からのつき合いだから気兼ねしなくて済むのは良いとしても.......ねぇ。
音大の中でジャズをやるのは困難なものがあります。まず、共演できる相手がなかなか見つからない事。ダンパ(随分懐かしい響きだけど今もあるらしい)や大学祭の時に普段の専攻楽器をポイと投げ捨てガンガンRockやJazzするオニーチャン達は高校時代から見るには見るが、まぁあくまでも仮の姿。唯一「ジャズ研」というのもあるが事実上高校音楽科生の方が一枚上手(失礼)。第一リズムセクションが揃わない。ホント人材不足って、それなら音大行っても意味は無いじゃないかって?でも楽器に関する事では優るものは無し。難しい選択。困難なその2はそれを演る場所が少ないって事。やっぱり人前でやんなきゃ意味が無いもんね。特にJazzなんて。う〜ん。困ったものだ。山の中の学校は。そんな中、しばらくすると教授陣の中にもポピュラー関係の仕事をやった人が何人かいる事が分った。そしてこの山の中にもかかわらず、街で演奏してるそうだ。これは会いに行くしかあるまい。
とある日曜日の夜、普段は普通の喫茶店なのだが月の内2〜3回は地元のミュージシャンがライブをやっている。コーヒー屋で確か"U"と言った。実家の松山で既にプロとして演奏する人達との出会いは済ませていたので良い意味で緊張は無い。サックスに三戸さん、ギターに石井さん、ピアノに松永さん、ベースに小坂さん、そしてドラムに大学講師の下山さん。スタンダードと割とフュージョンっぽい曲が半々。特に下山さんのドラムが印象的。それもそのはずこの人東京キューバン・ボーイズというラテン系バンド老舗出身。大学で会うといつもニコニコしているんだけどドラムに座るとキュっと目が鋭くなる。「あのぅ、大学でいつも御会いしますね」「アッそうネ!。マリンバ専攻してるでしょ」「覚えて頂けて光栄です。実はジャズやりたくてウズウズしてるんですけど、学校じゃなかなか難しくって」「そうねぇ、あそこはクラシックの学校だからねぇ」「何処か出来る場所は無いでしょうか」........。随分初対面で図々しいとは思ったんだけど、やっぱりやらないと分からないからねぇ。こっちも必死。「じゃあ今度一度遊びにおいでよ。ここで」。ほらね。遊びにおいでって事、つまり演奏においでって事だ。これチャンスっす。「是非!!!!!」って目はハ−トマークに。いついつに●●教室に来ればレパートリーの譜面をコピーしてくれるそうな。それで早速いついつに下山さんを●●教室に訪ねた。
「将来はどうするの?」。訪れた僕に譜面のコピーを渡しながら下山さんは言う。「トーキョに出てジャズやります」。「そう、でも厳しいよ」「分ってます」。「特にヴァイブは需要が少ないしクラリネットとかと同様に厳しいと思うよ」「ハイ、でもやってみます」。これが下山さんとの最初のやり取りだったと思う。例の"U"セッションに呼んでくれて、演奏の後に「あそこの演奏はもっとこんな風にやると良くなる」「リズムがもっとしっかり出た方がよい」「ブルーノートの使い方を工夫すると良いかもね」................。僕にとっては初めて違う楽器の人から受けるアドヴァイス。地元のミュージシャンも常にいろいろな手ほどきをこの初心者に与えてくれる。コレハ学校よりも100倍役に立つ。いつも誘ってくれるお返しに大学祭に呼んで演奏してもらったりする内「ちょっと用事があるから」って下山さんの部屋に呼ばれる。普段学校で講師や教授の部屋に呼ばれる時ってろくな事がないんだけど、たまたま僕は下山さんの授業は取ってなかったのでその意味では安心?(ほんと授業は代返が多かったなぁ)。「毎週土曜日はバイトかなんかある?」「いいえ、特に無いですが」「じゃあね、これから毎週岡山に行こう」「えッ。岡山ですか?(岡山までは60km程ある)」。「うん。毎週午前11時に迎えに行くから楽器をバラして準備しておいて」「はい」。なんだろうって思いながら校内を歩いていると京都出身の数少ないジャズ友達のO村君(一年先輩だけど)が「オッ、下山ハンから聞きよったケ!!」。「今聞いた」。「ホなそう言うこっちゃ。よろしゅうに」。一体何の事やら分からんがOはさっさと車で帰ってしまった。
その週の土曜日アパートまで下山さんが来て楽器を積み込むと「テレビ、テレビ。テレビの仕事」ってやっと種明かしをする。すると毎週岡山に通うわけだ。こりゃ大変だ。メンバーには友達のOも居れば、同級のトロンボーン専攻でありながらベ−ス担当のY田もいる。こりゃウチの大学のポピュラ−陣大集合だわね(って言っても少数派)。2時間の生放送で歌のバックやったり演奏主体でやったりする。期せずしてプロとしての修業が始まったわけだ。こうなりゃやるしかない。オマケにギャラまでもらえる。アリガタイ。毎週毎週岡山のテレビ局通いが始まる。しかも生だから失敗してもそのまま流れちゃう。初見の嵐にヘロヘロになり、最後のコーナーは演奏。「もう少し譜面台を下げないと手元が写らないよ」「でもカメラなんか無視して!!」「スマイル、スマイル!!」何だか学校での当たり前がドンドン壊れて行く。「ジングルはキュ−一発で入るからテンポ覚えて」「ソロは細かい音符よりも分かりやすい音符とリズムで」「ホラ、もっと顔を上げて演奏しよう」「見せ場の時はココってところでブレイクを入れるとカメラが追ってくるよ」。ここで随分多くの事を下山さんからアドヴァイスされた。でも実に多くの事が今日でも自分に生かされてる。そうこうする内にそこでプロとしての必需品に出くわした。これが揃うと完全に演奏活動がこなセル。プロになるなら必要なもの。最後まで学校じゃ教えてくれませんでした。

今でこそ当たり前なんだけど、当時全く気付かなかった必需品。それは免許。そりゃそうだよねぇ。ヴァイブなんて置いてる場所ないもんね。楽器は自分で運ぶ。これ大原則。そして如何なる地へも出かけて行かなければならない。だから通いました。自動車教習所。学生は時間もある(ほんとは無いんだけどね)。オバさんも時間がある(これもきっとホントは無いんだろうけどね)。従って勢い教習所は学生とオバさんの集合体となる。
これが凄い。車が荒馬の如く飛び跳ねてるわ、坂道はズリ下がるわ、コーナーではキュルキュル言わすわ。動物園状態。「よ〜し、今日はコーナーを素早くターンするからナ」「ハイ」「じゃあ、まず、最初の直線は50kmで。そしてカーブは30kmに減速。続いてS字に入る」「ハイ」。まるでF1レーサーの気分。「じゃあスタート」「ハイ」。ブルルルル.....。「50kmまで加速だぞ」「ハイ」。アクセル一発。「ムム、あの車変だなぁ」「エッどの車?」「あれだアレ。12号車」「あれですか」「そう」尚も加速。「チッ。仕方ないな。じゃ追いこし車線に入ってアレをやり過ごす」「ハイ」カチッカチッ(ウィンカーの音)。「アッ、コラ。今何キロで走ってるんだ」「エッ?え〜と。あっ65kmでした」「こりゃスピード違反になるぞ」「ハイ」「もうすぐカーブだから減速」「はい」「オイ、減速」「はい」「あっヤバイ」「エ?」と内側のキツいコーナーでタイヤが唸る。キュルキュルキュル。「ダメ〜〜」っと教官がブレーキを踏むがこっちも思いっきりブレーキを踏んだ。「アッ、コラ!踏むな」「ハイ」って足を外した瞬間、目の前の景色がゆっくりと右から左へ流れる。回転木馬だ、お祭りだ。ワ〜〜っ...........................。
止まった目の前をゆっくりと12号車がロディオのように飛び跳ねながら通り過ぎる。教官曰く「君はスピードの感覚がチと早い。何かそんな運転する人の助手席に乗り馴れてるのか?」「いいえ」「そうか、でもそれは免許取ってから気をつけな」.....。う〜む。一つだけ心当たりがある。それはチャリで学校に通う時、長い下り坂を思いっきりスピ−ド出して下るのが好きで、一度だけパトカーに止められた事がある。「君ねぇ、この道は30km規制なんよ。君、今何キロで走ってたと思う?」「いや〜っ、ちょっと、わっ、わからないです」「50キロ」「っへ?」「立派なスピ−ド違反なんだけどねぇ。チャリだから........」「はぁ」「以後気をつけるように」「はい」。その頃はまだ部分的にチャリが車道を走れた頃なので、いつも渋滞する車を横目にスイスイ走ってた。チャリも立派な道路交通法が適応される車両とは...........。ホントこの時期は知らなかった事だらけ。でも無事に車の免許は取得。教官の言葉通り2日後に早速スピ−ド違反で掴まってしまった。車の運転というのは今まで知らなかった社会の常識を目のあたりにする。道路は安全に走りましょう。教官、あなたは正しかった。
免許、車と取りあえず自分の楽器を運ぶものは揃った。岡山のテレビ局はレギューラーなので中古のヴァイブ(コッスと言うメ−カ−。上の写真)を購入してスタジオに置く事にした。手元で使う楽器をいちいち運んでいては万が一の渋滞でスタジオに駆け込む時に組み立てる時間が無いからだ。幸いにも穴を空ける事はなかったが.......。そう、本番の集合時間は1時間前。これは掟だった。今でも変わらない。この掟を知ったのもこの仕事のおかげで、学生だけの感覚なら5分前入りで平気な顔してただろうなぁ(でも今日の首都圏の混雑はその信念を儚くも奪い去る事態が...........................辛いっス)。
土曜の昼は岡山でテレビをやり、再び津山に舞い戻ってライブをこなす("500"というオーディオショップの喫茶店が多かった)。また、例の日曜日に"U"でライブをやる。少しずつ演奏活動というものが始まっていたそんな時、下山さんが「今度の土曜日はテレビの後はすぐに鳥取へ向う」という。土地感の無い人の為に説明すると、岡山市と鳥取市の中間に津山市がある。瀬戸内海から日本海への縦断って事になる。朝津山を出て60km、午後4時に岡山を出て150km、再び津山へ戻る80km。これを全て一般国道で移動するのだ。しかも土曜日。「大丈夫ですか?」「うん。鳥取は午後9時からだから十分間に合うよ」と下山さん。
合計約300km走行のツアーは始まる。まずこの日は普段のOとY田に変わり"U"セッションの三戸氏(ts)、小坂氏(b)、松永氏(p)に僕と下山さんで岡山に向う。まだ元気。いつものコース。車3台での縦走は楽しくもあり面白くもあり。空いてる所ではちょっとオチャメな運転なんて余裕もある。岡山市の入り口で若干の渋滞はあるものの局には1時間前に到着。やがて本番が始まり午後4時に放送が終わる。いつもはここで自由解散なんだけど今日は3台まとまって鳥取へと向う。まぁ少々混んでるけどねぇ。ちょっと混んでるかなぁ............。う〜ん、やや混んでるみたい。でもまだ午後5時だし、ちょっとメシ(時々シ〜メなんてさらに下品な表現もした)でも食ってやり過ごしましょうかって事になる。約60kmを2時間かけて津山手前のドライブインに入り、この先の先導役になる"500"のマスターに連絡。しばし夕食と休憩。
「さぁ、後2時間強ってとこだから40分は休めるね。みんな疲れてない?」「大丈夫っスよ」と一同。思い思いに休息の後"500"に行く。ここでもう1台"500"のマスターの車が加わり計4台。「あと2時間もあれば着くから楽勝だね。さあ、あと80km。安全運転で行きましょう」とは下山さんの弁。「2時間もかかるわけゃねーで。1時間くりゃーで着くがね」とは"500"のマスター。っとドアを閉めるないなや先導の"500"のBMWは瞬く間にダッシュ。負けじとあとの3台も追尾開始。下山さんの弁はどこへやら。でもまだダッシュ出来るほど全員余力は十分にあった。津山からは鳥取までさほど大きな町は無く、渋滞も予想しない。道はどんどん登りになり山を越えて行く。分水嶺である那岐山まで登ればあとは下り。その分水嶺にある黒尾トンネルという場所を境に鳥取県に入る。さぁ、後50kmってとこで先導のBMWがハザードを付けて減速。「何だろう?」って一同減速しながらトンネルを出る。と....................。まさに.........................................。
一面真っ白。霧である。前の車のテールランプが霞む。峠を越えただけで全然気候が違うのだわね。ガードレールも定かでは無く、頼りは先導のBMWだけ。「こりゃ参ったなぁ」「10m先が見えん」「下りカーブの連続やからなぁ...................」。一同路肩に車を止め、しばし呆然。あたりは真っ暗、いや真っ白。でもとにかく行かなきゃならぬ。頭の中を「霧の黒尾峠で車4台転落」とか「霧の中、無謀初心者対向車線で正面衝突」とか「恐怖の霧車4台玉突き」なんて不吉な見出しがテロップよろしく前の車のテールランプに重なるのだがこれじゃあいけない。景気付けにラジオを付けたら山間部で「ザ〜〜〜」っという砂荒らし。仕方ないからカセットに変えたくても昨日車内を掃除して今日はカセットを積み忘れた。したがって一本もテープが無い。おまけにさっき食べたものが消化を始め眠気も漂い始める。さらに昼間の放送は薄暗いライトで譜面を追ったおかげで目も疲労してきた。前の車のテールランプがやけに乱反射して神経を使う。車は一向に10キロ前後のノロノロで右へ左へのカーブを繰り返す。「初心者ドライバー霧に塗れて方向感覚を失う」とかまた良からぬテロップがちらつく頃、40分は経過しただろうか。智頭という町に差しかかってやっと霧が晴れた。ソレ〜〜っとばかりに先導のBMWがダッシュ。一同床を踏み抜かんばかりにアクセルを踏む。そこからの運転の凄まじさといったらラリ−顔負けである。何だか4台でレースやってるみたいだけど、もう時間が無い。ゴメンナサイの世界。トラックは抜くはちょっと遅い車は追い越すわ(でもちゃんと追い越し区間でね)で午後8時40分鳥取"5ペニーズ"に到着。
20分で一同楽器を組み立てるべく、またしても猛然とダッシュ。ほんと鳥取県に入ってから何事もダッシュばかりしている。すると"5ペニーズ"のマスター曰く「あんまり遅いんで、こりゃ皆黒尾峠で落ちた思うとったんダガ」(ダガは鳥取弁のようで最後に付く言葉のようだ)。一同怯む間も無くセッティングに集中。っで若干遅れて本番とあいなった。メデタシ。2setやって午後11時を回る頃、「んっじゃあなあ、アレやってヤ。それでお開きにしようャ」。マスター峰さんの言う「アレ」とはコルトレーンのImpressions。この店では最後はこの曲で閉めるというオヤクソクがあるらしい。もうこれで今日はおしまいってドーなってもエーけんねって全力疾走Impressionsダッシュ!!。マスターは演奏が盛り上がると「ウォ〜!!」って吠えるわ、こちらは体力残量ゼロ状態だわ、さぁ、これでエンディングだと思ったら「マダマダ!!!!」ってマスターが煽るわ、こうなったら奥の手とドラムの長いフリーソロに回しつつ予備燃料使い果たすわでやっとダッシュ演奏終わったの午前0時に限り無く近し。
終わってヘロヘロになってると「今日はなかなか面白かったダガなぁ(これ打ち消しではありません。鳥取弁)」と峰さん。「そしたらこれからエエとこ連れてっちゃるダガ」。一同カゲロウのように項垂れ車に乗り込み(すでに魂も楽器とともに撤収してしまった)、先導する峰さんの車に続く。午前2時だ。ヘロヘロになった車3台とやや元気な"500"のBMWと超元気な"5ペニーズ"峰さんのスプリンターLBの計5台は鳥取の郊外の港へと続く。スルスルスルと脇道に入ってからの記憶は殆ど無い。「ここじゃあ。ココ」元気な峰さんは車を降りてオイデオイデしている。一軒の民宿のような建物に入り通されたその先にあったものは.........................。蟹、カニ、かにの山積み。そう鳥取と言えば松葉カニ。天井に届こうかと言う程鍋にカニ、蟹、かに。ゲンキンなものでヘロヘロのドロドロのくせして一同「うぉ〜!」と雄叫びを上げ、「好きなだけ食うちゃれヤ」という峰さんの言葉が聞こえるやいなや、再び一同この日5度めのダッシュ!!。目は欄欄と輝きカニの足をむさぼり、みそを啜り「っんまい!!」の連続。テーブルに蟹の破片が散らばろうが無情にも分解された蟹の一辺の足が落ちようが、おかまい無しに次々と蟹を貪る。食べても食べても山は減らない。でも食べる。食べ続ける。「ガニ〜、ガニ〜」っと蟹酩酊状態に陥る者も続出。しかしそれ程この時の蟹は上手かった。「そない食うならおかわりしょうか?」と蟹酩酊集団の様子を察した峰さんが言うが、さすがに酩酊にも限界がある。午前4時。我々の蟹酩酊勤行は終わりを告げる(いや満腹で終焉を告げざるを得なかった)。
"5ペニー"のマスター峰さんにお礼と別れを告げ、鳥取を後にしたのは午前5時。「ガニ〜ガニ〜」とテンションの上がったまま再び一同ダッシュ!!。どうも鳥取県に入るとダッシュしなければならない衝動にかられるような.............、黒尾トンネルを抜け、津山に辿り着いたのは午前7時の事だった。運転トータル9時間、演奏トータル5時間、蟹酩酊ト−タル2時間。走行距離300km、ダッシュ6回のこの初のビータ。体力がなきゃやってられないコノ世界を実感させてくれた。その後鳥取の"5ペニーズ"には在学中に津山のバンドで何回も訪れ、Berklee卒業後も一度ギターの道下とデュオで訪れた。もちろん最後は"Impressions"でダッシュしたのは言うまでもない。いつの時代でも変わらない。変わらない事って素晴らしい事だと思う。
ビ−タ(旅の仕事)では時々思わぬハプニングが起こったり我々が起こしたりするものだ。駆け出しの頃から今日までビータの話題はミュージシャンの間で尽きない。そんな事がまだ新鮮な頃のお話。(今でもビータすると何か起こるから不思議................................)
平日学生・週末ミュージシャン修業の生活を始めて初めての夏。学校は休みに入ったから少し期間の長いビータも入る。山を越え、谷を越え目指すところは街ばかりではない。今日は海の上。そう、船の仕事だ。もちろん我々が船を操舵するわけじゃあない。演奏してお仕事するのだ。下山さん曰く「船の仕事は楽だよ。だってチョコっと演奏する時間以外自由なんだから」。確かに。1時間ちょっとの仕事で後は船でのんびりしてりゃいいんだ。寝てたっていい。時間がくれば気ままに食事すればいい、おまけに飲み物も全部自由らしい。19才そこそこの学生にとって「何もしないでギャラと食事と旅で知らない土地に行ける」事は願ってもない天国のような環境。おっと何もしないんじゃなくてチョット演奏するって事を忘れてしまいそう。でも一抹の不安もあった。時々この我々のリーダーの読みはハズれる事もあるからだ。その一抹の不安を先に聞かなければならない。「あのぅ、まさかその船って小さいナンテコトないですよねぇ?」「1万トンって言ってたよ」。「ハハァ〜。恐れ入りました」。一抹の不安はこれで解消。勇んで船中の人となった。
船の名前はここでは臥せるが割と有名な船だった。乗員(勿論夏のアルバイト多数)と我々と機材が岡山港から乗り込み、夕方広島港から客を乗せ翌朝和歌山港で客を降ろし、夕方別の客を乗せ、再び広島港で降ろしの繰り返し5日間。いわゆるチャーター船である。現在のクルーズシップに比べれば船も豪華絢爛とは行かないものの、それなりに風格のあるもので我々は船内にあるホールで毎夜午後8時から1時間強演奏すればよい。飲食は自由(ダータ)である。まぁ瀬戸内海ってとこは大波など皆無で昼間の航海は優雅なもの。この広い船の中でのんびり過ごす。子供の頃から乗り物という乗り物は全部好きで、船旅も何度か経験してる。特に印象に残ってるのは小学生の頃、九州からの帰りに別府から松山まで乗った関西汽船の"こばると丸"と"あいぼり丸"(なんと驚くなかれ、この船今は横浜港のクルーズ船として活躍している。ロイヤルウイングという名で。何度も乗った船の形は決して忘れないものだ。恐るべきは乗り物好きの記憶力)。今は殆どがフェリ−(と言っても年々豪華になってる)だけどコレはちゃんとした客船。つまり車の乗らないヤツ。これが好き。当時の新造船で午後3時頃に別府を出港すると黄昏れる夕陽を背に水平線を進む。後ろのデッキから船の軌跡の先に沈む夕陽を眺めてるだけで時間を忘れてしまいそうになる。真っ暗になった海にやや退屈し船内のレストランやパ−ラ−(懐かしい響きだなぁ)に入ったりしてアクビする午後8時頃、ちょうど松山港に着く。子供にとってはほど良い距離と時間の船旅だった。これ以上は限界ってとこだ。
そんなだから昼間の航海はデッキでのんびり、やがて広島に入港し客が乗り込むとその静寂の時間は終了する。船旅は経験あっても船で演奏するのは初めて。さぁ時間になったし、ひとつ演奏してお仕事しなきゃオテント様に申し訳ない。楽しい船旅の憩いの一時。ステージに上がりさて、演奏しようとかまえた。っんんん?。何か変だぞ。いつもと何か違う。下山さんのカウントで曲は始まったのだが違和感が漂う。横の三戸氏(sax)を見ると彼もなにか戸惑っている様子。曲が進むにつれ違和感が襲ってくる。でも客席は平然としていて何事も無い様子。下山さんはといえば................................いつもの通り。ジャカスカやってる。なんでだろ?って気が付くと、アリャリヤ?この船3度くらい右に傾いてる。う〜ん。微妙なんだけど確かに傾いて航行してる。しかもゆっくり、ほんと実にゆっくりだけど水平と右3度の傾きを繰り返してる。そうかぁ、立ってる僕や三戸氏にはそれが分かるけど座ってる下山さんや客はぜんぜん気付かないわけだ。しかも譜面を見てると余計にそれが気になるから不思議だ。どんな状況下においても演奏しなきゃならないって、こんな事もあるんだなぁ。あんまりする人はいないと思うけどエレベーターの中で単行本を読んでる感じって言えば???わからないっか。これ結構キツイ状態。微妙に音を外しそうになる。立ってるから身体を固定できないんだ。しかも決して左3度にはならないから妙に身体が左方向へ傾こうとする。不自然。高音側がやけに遠く感じる。そのゆっくりローリングが時々体内の血液ローリングと重なりフワフワした感じ。集中力テストだ。まるで。終わってから下山さんに「結構揺れてますねぇ。やりにくいのでびっくりしました」って言うと「っへぇ?揺れてたぁ?僕全然知らなかった」。どうやら僕と三戸氏だけが感じてたらしい。「まぁ、その内に馴れるよ」って言った下山さんの言葉を信じるほかない。
翌日昼前に船を降りた。夕方までOFFである。和歌山は行った事がなかったので、どんな街だか興味があったから。「フムフム、和歌山の中心までは電車かバスで行くべし」。電車好きの僕は迷わず電車にする。ここは和歌山港駅。抹茶とグレーの南海電鉄だ。"なんば"からは乗った事はあるがこんな突端に乗るなんて初めてだ。「え〜っと、ナニナニ?和歌山市駅と和歌山駅があるな。ここは和歌山市駅に行ってみよう」。なぜそうしたかは簡単な理由がある。実家のある松山も松山駅と松山市駅の2つがあり市駅と付くのは私鉄の駅というオヤクソクを知ってたのと私鉄の駅の方が賑やかな場合が多いからだ(近鉄の伊賀上野市駅とJRの伊賀上野駅など結構このオヤクソクはあてはまる場所が多い)。っで電車を待つ事しばし。やって来ましたツートンの南海電車。でも随分短い。まぁこんなもんなのだろうと乗り込むとガラガラ。まあ途中から混むサと思えばそのまま10分もしない内に和歌山市駅に着いた。ガラガラのまま。和歌山といえば和歌山城だろう。って勝手に決めて城の方向へ歩き出す。それにしても暑い。なんかやたらと広い道が真直ぐに続く。夏だから暑いんだけど、ねぇ。まだ真直ぐの道が続く。暑いときって真直ぐの道歩くと随分距離があるように思うのはなぜでしょうねぇ。それにしても暑い。あっここが城だ。って交差点をぐるり見渡したけど、どちらもひたすら真直ぐの道。石垣に沿って.............。暑い。バスに乗れば良いようなものの、それほどの距離じゃないし、知らない街は歩くのが好きだからと城址へ入る。でもここで限界。暑くておまけに昨夜のローリングでクラクラする。こりゃダメだと思い、しばらくして駅に戻る。再びまっすぐの道。何の変哲も無い。暑い。クラクラ。真直ぐの道。駅に到着。駅は立派だけどこの時の和歌山の印象は何の変哲もないひたすら真直ぐの道。こんなものかねって電車で港へ戻ってしまった。何年か後、和歌山駅に降りた事がある。ナンだ、こっちが賑やかだったんだ、って再発見。訂正。オヤクソクにあてはまらなかったのをその時は知らずにいた。船に戻ったら三戸氏が「和歌山ってどんなとこ?」って聞くので「ひたすら真直ぐの道ばかりで何も無いとこ」って答えてしまった。今からでも遅くはないから(遅すぎるっちゅうの!!)三戸氏にメールで和歌山はとても変哲のある面白い街って訂正しなきゃ。和歌山の皆さんごめんなさい。
さて、ビータは2往復めの和歌山から広島への航海になった。でも今日は出港時間になってもいっこうに出る気配が無い。通りがかったアテンダントのオネーチャンに「どうしたの?」って聞くと、「予定の2グループのバスが渋滞で1時間半程遅れるようなの」とのお返事。「出航は2時間程度遅れるわ」。じゃあ一体演奏は何時からになるんだろうって下山さんに聞いたら1時間程度遅らせるらしい。パーサー以下2時間の遅れを1時間に短縮すべくアタフタとしている。いつもなら休憩時間に遊びに来る音楽好きの乗員連中も今日は顔を出さない。普段なら優雅に歩くアテンダント達もツカツカとヒールの音を立てて2時間の遅れを1時間に短縮すべく俊足で歩く。僕らもなぜだか夕食をソソクサと済ませゲームホールのピンボールも普段の倍の速度で早撃ちし、売店の従業員もなぜだか釣り銭を普段の倍のテンポで差し出し、自動販売機のビールまで2時間の遅れを1時間に短縮すべく勢いよく取り出し口にダイブする(あんまり関係ないか)。そして船自体も2時間の遅れを1時間とすべく普段優雅にターンして出航するところをドリフト状態でダッシュ。つられた見送りの人も2時間の遅れを1時間とすべく倍速で手を振りいつまでも船を見送る事なくソソクサと家路につく。とにかく皆2時間の遅れを1時間とすべく随所でダッシュが行われている模様。
「今日はちょっと揺れるねぇ」。さすがの下山さんも今日のダッシュでは船の揺れに気が付いてる様子。「随分飛ばしてますねぇ」「だから揺れちゃうんだね」。こんな会話の内に演奏の時間となった。何度かの航海で傾きと揺れには馴れつつあるものの、さすがに今日は飛ばしてるだけあってやや大きくローリングしているから控え室に座っていてもその揺れが伝わってくる。また、パ−サー以下客までもが2時間の遅れを1時間とすべくアタフタとしている。つられた下山さんも最初の曲のカウントがいつもより早い。2時間の遅れを1時間に短縮とすべくしたテンポなのだろうか。船は飛ばす。ロールは大きい。客席の客も左右前後にゆっくりロールしながら聞いてる。演奏してるこっちも体内の血液があらぬ方向へ導くのを踏み留めつつ、やっぱりロールする。だからかもしれないがテンポも揺れている。見るとシンバルがゆれる毎にスティックワークでカバーするのだが、身体ごと持って行かれるのでキックが今一不安定な下山さんが上へ下へとゆっくり移動する。もはや演奏どころではない。でも続けなきゃならん。立ってられない程の急激な揺れではないが大きく前後左右にロールしている。ペダルを踏むと楽器が滑りそう。名演奏と言うのはあるが、これじゃあ酩酊演奏だ。演奏に一定の重力が必要な事をつくづく実感させられるステージだった。こんな事もあるさ。って思う間もなく2時間の遅れを1時間に短縮すべくステージを終えた我々はソソクサと各自の船室に戻った。
不思議なもので立っていると前後不覚になるこのローリングもベッドに横になるとなかなか心地よい。普段よりも飛ばしてるせいか船の動力音が大きめに感じる。「いゃ〜、まるで酩酊状態だったなぁ」「オレなんかサックス吹くたびに血液が逆流してヒザが笑っちゃった」「楽器が動きそうで困っちゃった」。シャワーの後下山さんの船室に集まり皆で飲んでた時だった。午前2時頃の事。突然ウンウン唸ってた船の動力機関の音が静かになって「アレレ?」って皆が気付いた頃には船はまるで波ひとつ無い凪ぎを進むようにスーって流れてその内にエンジンも止まり、やがて10分後には船も止まってしまった。「オイオイ飛ばし過ぎて壊れちゃったんかい?」と一同不安になる。「まさか.........沈没??」「こんな真っ暗な海で????」。不吉な連想は尾ヒレを付けて広がる。「オイオイ」って三戸氏が窓を覗き込む。「あれ〜?。なんかこの船に小さな船が横付けしてますよぉ??」。「どらどら」って一同窓の外を覗き込む。確かに暗くてよく見えないがこの船の横に小さな船が横付けしている。「衝突でもしたのかなぁ??」「飛ばしてたもんねぇ」....................。30分くらい経っただろうか、やがてエンジンのかかる音がして船か動きだした。横付けしていた小さな船も赤い回転灯をつけながら離れて行く。取りあえず船は無事のようだ。一同ホッとしてそれぞれの船室に戻り寝た。
翌日三戸氏が仲良くなった乗員から昨夜の停止の理由を入手。それを聞いた一同、朝食時に唖然とした。確かにそれはそうだろうれど。まさか海の上でねぇ。我々の知らない事ってまだまだ一杯あるんだなぁ。一同それがとても身近な原因だけに驚きも一入。
三戸氏は語る。「アノネ、キノウ、コノフネ、チョット、トバシテタデショ。ツカマッタンデス。スピードイハン。カイジョウジュンシテイニ。イワユル、ウミノ、ネズミトリ!!!!!!!。」ハプニングの内に終了した初めてのツアーシップ・ギグだった。
[98年10月5日記]