阿部青鞋研究会

 

ようこそ Seiai Abe の俳句世界へ・・・

                    

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はじめに
阿部青鞋(あべせいあい)研究会より

昭和期の異色俳人・阿部青鞋【大正三(1914)年〜平成元(1989)年】について知る人は今日ではもうそれほど多くないことでしょう。こう書くと「とんでもない」という声が聞こえてきそうでもあります。俳人や俳句読者の中には青鞋俳句を先刻ご承知どころかその熱烈なファンを自認される方さえ何人もいらっしゃるからです。そう言う私も青鞋俳句の愛読者の一人です。一度出会えばたちまちそうなる人もいる、青鞋さんは不思議な魅力あふれる俳句を数多くのこした俳人でした。しかし残念なことに現時点では青鞋俳句をまとまったかたちで読める本は一般書店にまったく流通していません。既刊句集はすべて絶版、晩年句はいまだに纏められていない、これも事実です。したがって新しい読者が青鞋さんの俳句にめぐり合う機会はごく稀と言わざるを得ません。このまま青鞋俳句が忘却されるようなことはないにしても愛読者の一人としてはやはりさみしいかぎりです。たとえ書物でなくても、インターネット上の一窓の情報としてだけでも、そこを開けばいつでも青鞋さんの俳句にふれることのできる、そういう場を作っておきたいと考えた所以です。平成五年二月からぽつぽつと不定期刊行で第6号まで出してきた小冊子「阿部青鞋研究」を本号からホームページにすることについて故青鞋さんのご親族からもご了承をいただきました。このホームページをこれから徐々に充実させていきたいと思っています。このホームページへのご意見やご感想、青鞋俳句に関する資料や情報などもお待ち致しております。(阿部青鞋研究会 代表 妹尾健太郎 平成十二年四月記)




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ちょっと一息:青鞋さんの俳号は青い「鞋(ワラジ)」「蛙(カエル)じゃないよ」・なんだか昔の絵描き唄みたい?でもよくある誤植。

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「阿部青鞋研究」第7号



青鞋一句(7)          鑑賞者 ・ 宮原青也

                 
金屏風立てて咲きたるすみれかな  阿部青鞋 
                       
(句集『ひとるたま』所収)

 
<金屏のかくやくとして牡丹哉 蕪村>は、金屏風と百花の王である牡丹と豪華なもの二つが互いに光り輝く様子をとらえた写生句です、一方青鞋氏の句では、金屏風の前に置かれたすみれではなく、野原や道ばたに情緒たっぷりに濃紫の花を開いたすみれであり、この生のあざやかさに感動した俳人が擬人法を用いて幻想の一句を仕立てたと思いたいのです。 
 可憐な花であるすみれがヒロインであり、金屏風はただの引き立て役であると。(書き下ろし)




連載
谷目の巻・解(その七)          浅沼 璞
「裏移り」・「見立て」の事など



 
麓からどう棲みにゆく月明り     年(・・・・・檜年こと渡邊白泉)
                          (打越)
  
刈りのこしたるおくて一枚      尾(・・・・・雉尾こと三橋敏雄)
                          (前句)
 
ざぶとんを譲り合ふまで騒がしき  木(・・・・・木庵こと阿部青鞋)
                          (付句)


 
〈ざぶとん〉の句で、初折の裏に入りますので、これまた文字どおり「裏移り」といいます。やっと表六句のタブーがとかれたわけですが、といっていきなり「ポルノ解禁」てなわけにはまいりません。タブーの代表である恋の句を、待ってましたとばかり「裏移り」でだすのは、昔から「待兼の恋」といってストーカーのごとく嫌われたくらいですから (蕉門では許容範囲にあったようですが)。
 その点、〈ざぶとん〉の句はオーソドックスな「裏移り」といえますが、しかしだからといって「三句放れ」が放棄されているわけではありません。前句との調和を保ちつつ、しかも打越から放れるという「三句放れ」の機能はちゃとストーカーされているのです。やはり青鞋らしく「何気なく」。
 ぼくは前回、こうのべました。テクストの「中層」あたりに目をむけるならば、〈米さげて出る〉動的なイメージが、〈刈りのこしたる〉静的なイメージへと転じられているのがわかる、と。今回も中層テクストに照準をあわせてみましょう。すると、こんどはまったく逆のイメージ転換がなされていることに気づかされます。つまり〈刈りのこしたる〉静的なイメージが、〈ざぶとんを譲り合ふ〉動的なイメージへと転じられているのがわかるのです。そしてそれを可能にしているのが、表層テクストにおける「見立て」という俳諧テクニックです。〈刈りのこしたるおくて一枚〉が、最後に残った〈ざぶとん〉一枚に見立て替えられているのは一目瞭然でしょう。
 このように中層テクストは、中層テクストとしてのみ実在するのではなく、表層テクスト(ときには深層テクスト)になんらかの影響を受けたり、与えたりしながら多義的に実在しているようです。もしかすると「中層」とは、そうした相互運動によってしか領域化できないグレイ・ゾーンだったりするのかもしれません。 (續)



お知らせ:平成12年3月浅沼璞氏の第2評論集『中層連句宣言』が北宋社より刊行されました。その3章「実作へ」は、山頭火、鷹女、青鞋による架空三吟歌仙となっています。詳細については上記のEメールでお問い合わせください。


連載
父の思い出(七)              中川専子

 
なにやら夫婦が台所の隅で、肩を並べて絵を描いているような両親の姿を記憶している。妙にはしゃいでいたような母の残像は、今も消えない。
 確か、昭和二十九年(一九五四年)の夏休みの出来事ではなかったか、海田より林野(はやしの)という当時転勤者向け用に建築が相次いでいた、小さな町に引っ越しをしたのだ。日本国そのものが、貧しい時代であった頃、小型トラックに揺られ新しい土地への不安も子供心に大きく、半面、夢見心地でもあった。
 家に入るとすぐ天井からぶら下がっていた裸電球が、実に印象深く、それが三角の笠をかぶっていたかは定かではない。新しい家の前後には庭があり、恩恵に与る井戸まであった。台所と縁側付きの六畳二間の大きさは、自然と共存が出来ていた当時としては、広さに対する不満は無く、結構すべてが充たされていたらしい。というよりも物そのものが無い時代の、それはありがたい要因かもしれぬ。
 中途転校を嫌がった長姉抒子は、転居前より、旧林野中学校まで、徒歩で片道九十分はかかる距離を、通学していたのではなかったか。たとえ一学期間だけのことにせよ、左程丈夫ではなかった十三歳前後の女の子を、よくもまあ一人で行かせたものだ。両親は毎日途中まで送っていったのかと、今もそこは疑問である。次姉の証言では、まだ薄暗い時に家を出た長姉は、恐怖のあまり英語を丸暗記することに、その時間を当てていたと言うのだ。
 あれから約四十四年経過しているが、三つ子の魂百までとはよく云ったもの、それぞれがそのまゝを貫いた人生だったと、今、改めて痛感している。


思い出:この連載は、かつて青鞋さん一家が暮らした岡山県北部の現・美作町での思い出を三女の専子さんが綴られたものです。私も数年前に青白二人(青鞋さんと渡辺白泉氏)の足跡をたずねて美作を訪れたことがあります。ちょうど今頃の季節、あたりの山々は躑躅の花のピンク色に染まりとても美しい光景でした。(妹尾)


連載
青い鞋に(第五回)            羽沖(ハネオキ)
   
 
私は前回の最後のところを西脇順三郎の『はせをの芸術』からの引用で結んでみたのだった。それは「芭蕉の「俳」は新しい関係を発見することであった。」に続く部分であり、そこで西脇はマラルメの言説をも引用しながら詳しく述べていた。その部分をさらに私なりに要約・換言すると次のようになる。
 「詩や俳句で新しいものを作るということは、新しくもの自体を創造してみせるのではなく、ものとものの新しい関係をつかむことであり、芭蕉は俳句の中で新しい関係を作ろうとしたのである」と。
 この『はせをの芸術』という文章は昭和四十五年のものだが、西脇にはこれよりもずっと以前の昭和九年に『オーベルジンの偶像』と題する詩論があり、その中では「詩の対象は(面白い思考をつくること)である。」と明言している。さらに「ギリシャ的な詩の女神は去った。ここには茄子の女神が立っている。」と西脇一流の言いまわしの後に次のような具体例まで示されていた。「いま茄子に関する詩をつくるとする。《あゝ、なんちゅう紫の瓢箪だ》といふ思考が出来たとする。この場合この詩の対象は茄子ではない。この思考をつくることが詩の対象である。」詩論はさらにここから茄子をつまみに続いていく。
 後年「新しい関係を作ること」と言い表わされた西脇の「俳」論の原点をこの「(面白い思考をつくること)」あたりに見てもいいように思える。
 さてこの詩論『オーベルジンの偶像』から二年後の昭和十一年、当時二十二歳の阿部青鞋が「句帖」誌において西脇順三郎の選に入っていたことが判っている。(『細井啓司編「句帖」誌上の青鞋作品』・本誌第3号〜第5号に連載。)入選句は次の通りである。

「句帖」昭和十一年五月号(特選集・西脇順三郎選)
ピンポンの球が若葉の光截る  阿部青鞋

「句帖」昭和十一年十月号(特選集・西脇順三郎選)
秋光はをとめの素足旭を踏み来  阿部青鞋

「句帖」昭和十二年一月号(特選集・西脇順三郎選)
 
油壷帝大臨海実験所付属水族館にて
あかうみがめ巨いなる三匹水を嵩み  阿部青鞋
 
 青鞋の句的出立がこの「句帖」誌からだったろうと私は推測している。(今のところこの句誌より以前の青鞋俳句は発見できていない。)それに加えて青鞋が早くから西脇順三郎の詩論に接していたであろうことも想像に難くない。句集「ひとるたま」所収の青鞋自編の年譜によれば【昭和八年・予て画家を志望し渡仏を企て、仏語を専修。(中略)三年後当の叔父の急逝によって、目前の計画は画餅に帰し、以来専ら詩文に心をやった。】とあって年代的にもぴたりと合致する。また、画家志望からやむなく詩文へ転じたというところもかつての西脇順三郎と境遇が似通ってもいる。英文と仏文という違いはあっても青鞋が『オーベルジンの偶像』等の西脇詩論に親しんでいた可能性は低くないと思う。
 掲出の西脇選青鞋作品三句はいずれも目映い光景を捉えた若々しい作品と言えるだろう。但し対象物を描写するというスタンスは旧来の俳句とさして変るものではないようである。したがってこの時期から既に青鞋の作句対象が「(面白い思考をつくること)」だったとは言いにくい。「秋光は」の擬人法にやや俳句ばなれした大胆な飛躍を感じられるとしても。いわゆる青鞋俳句の独特の面白さが開花するのはもっと先のことなのだが、青鞋は句的出立の当初から大いなる指針にめぐり合っていたのではないだろうか。(続く)

 

資料紹介
阿部青鞋句集「霞ヶ浦春秋」

「霞ヶ浦春秋」表紙



 昭和五十四年刊。(四六版・十八頁)同年六月に青鞋さんが北浦に逗留した折の所産を基に、同地で印刷会社を経営されている俳人河野香苑氏が刊行したもの。巻末には河野氏による解説「一夜」が付されている。この一文によって江戸崎の俳人青木啓泰氏も青鞋さんを囲む席に居られたことを知った。昨春私はこのお二人を訪ねて『霞ヶ浦春秋』当時の青鞋さんの昔話を聞かせていただいた。地元で和菓子店を営んでおられる啓泰氏にまず江戸崎の五百羅漢をご案内いただきそれから北浦へ。今も遠目には美しい湖水と長閑な農村風景と映るものの、その実ブラックバスが都会から釣り人を呼び寄せているのが現実だった。
 青鞋さんの「序」は、「鳥浮かぶ水の平らかにして、四時(しいじ)移らふ雲影のなさけをめで・・・・」という書き出し。これにつづいて「浦愛(うらがな)しみの歌五くだり」が添えられている。北浦も西浦(霞ヶ浦)もかつての風光を失いつつあるのを惜しみ嘆いた短歌五首である。その二首目はつぎのようなものだった。


 
あやめぐさ真菰なびかひ帆手(ほで)きしみわかさぎ積みし声な亡びそ  

阿部青鞋


 
扉に「初案二百三十七句」と記されていることから、青鞋さんは後日これを纏めて『続・火門集』に続く本格的な句集とする心づもりだったものと考えられる。それは実現されなかったが、四年後の『ひとるたま』に収録された数々の佳吟の原型をこの『霞ヶ浦春秋』に見ることができる。

 『霞ヶ浦春秋』より 


地を吹いてくれば悲しき青あらし    阿部青鞋
七月やおはぐろとんぼ庭を踏む
黒揚羽部屋の中にて休みけり
十二月頑固にのこる燕の巣
平皿の寒のわかさぎやや乾く
いちじくの一つとつぜん熟れもする
夏ごころ敷居のあぜに指触るる
おりてから時ばかり経つ夏ひばり
小脇にもかゝへ唐もろこしをもぐ
野ことばのその儘の虹おっ立って
終る夏かすみがうらのらに終わる
望の月しばらく見ればしばらく経つ
水落としたる田を歩くあめんぼう
くちびるを結べる如き夏の空
               


霞ヶ浦・北浦の取材にご協力下さった河野香苑氏(右)と青木啓泰氏

(解説と抄出・妹尾健太郎)


お願い:青鞋さんが自認した三大家集は「火門集」「続・火門集」「ひとるたま」ですが、この他にも作品集(句集)は少なくありません。しかしそのほとんどがあまり人目にふれることのないまま時間の経過とともに埋没・散逸しつつあります。「霞ヶ浦春秋」もそんな一冊でした。当研究会では青鞋俳句に関する資料や情報を随時収集しています。「こんなところで青鞋さんの俳句を見かけた」とか「もしかしたら青鞋作品では?」などどんな些細なことでも結構です、お知らせください。


青鞋俳句関連情報
『俳句の本ー光と風と水と』(朝日出版社から平成12年1月刊/川名大・山下一海共著)の中に次の青鞋俳句が1句収録されています。

くさめして我はふたりに分かれけり  阿部青鞋

『中層連句宣言』(北宋社から平成12年月3刊/浅沼璞著)に収録されている架空三吟歌仙「二月来ぬ」には、次の青鞋俳句(および青鞋の付句2句)計10句が包含されております。

カーテンに似てゐる皮膚をはげまして  阿部青鞋
妻の言ふとうりに雁の竿がくる
つまり国よりも愛した歩兵銃
半円をかきおそろしくなりぬ
 (*付句) 聟を貰はぬうちが花也
みんなみの暗きよりきて風ひかる
少年が少女に砂を嗅がしむる
うかんむりのそらを見乍ら散歩する
したはしき地震よシヤンデリヤが揺れて
 (*付句) かまどみてゐる耳のうしろ毛


阿部青鞋年譜
☆現在改訂版を作成中

(句集『ひとるたま』(現代俳句協会/昭和58年刊)と『俳句の魅力 阿部青鞋選集』(沖積舎/平成6年刊)に収録されている阿部青鞋年譜に関して誤りが見つかりましたので現在訂正しています。)





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