旅の行程 エルサルバドル・ニカラグア・コスタリカ+キューバ編 地図へ
98年8月1日 アンティグアからグァテマラ・シティー経由サンタアナへ
ほぼ一ヶ月を過ごしたグァテマラともお別れして、次なる国エルサルバドルへと向かいます。まずアンティグアからチキンバスで1時間強。首都グァテマラ・シティーに出てそこから国際バスでエルサルバドルの第二の都市サンタアナへと計5時間の旅でした。
サンタアナでのお宿は荷物を担いで探し回ったあげくにホスペダヘ・サンミゲルという宿。2ベッド、シャワートイレ付きの部屋は一泊60コロン(約1200円)の値段のわりにはぱっとしませんでしたが、どうせ一晩だけの「一夜宿」だからと渋々お金を払いました。
いまいち長居する気にならない街というのは今まででも何カ所かありそれぞれに理由があるわけですが、今回の場合は安くて美味しい飯屋が少ないことが一番の理由でした。特に晩飯は街の治安がよくないせいか店が閉まるのが早く食堂探しには苦労しました。
98年8月2日 サンタアナから首都サンサルバドルへ
サンタアナはそれほど悪い街ではありませんでしたが、長居したいと思うようなところでもありませんでした。午前中に町の中心部をざっと見てまわった僕たちは昼一番のバスでエルサルバドルの首都サンサルバドルへと移動しました。サンサルバドルも特に魅力は感じていなかったのですが、次の国へ向かう中継点となるのと、ひとつの国を訪れる場合、好むと好まざるにかかわらず出来るだけ首都は見ておきたいという考えから立ち寄ることにしたのです。
僕たちの乗るローカルバスは、インドのデリー辺りとためを張ると思われる猥雑としたサンタアナの市場に隣接するバスターミナルから出発し同じく熱気と埃と汗で混沌としたサンサルバドルのバスセンターに2時間余りで着きました。
それからまた宿探しに一苦労。こちらはグァテマラやメキシコほどいい安宿が少なく、僕たちが良しとする値段の宿はかなり「きていて」ちょっと勘弁してよという感じのところばかりでした(あまりその手の安宿に馴染みのない方には昔の「牢屋」をイメージして表の鉄格子のところを隙間だらけのベニヤ板か、錆のいったトタン壁に置き換えていただければ結構かと思います)。結局町の中心部に適当な宿を見つけることができなかった僕たちは翌日からの移動に備えて町の中心部から少しはずれた国際バスのターミナル付近に宿をとったのでした。
Pasadena2 シングルベッドシャワートイレ付き70コロン(約1350円)。宿のおばさんはかなり強引だった僕たちの「電話回線使わせて」攻撃(こういったnetcafeもないような町の宿では英語も通じず、i-netへの理解も得られないので相手が戸惑っている間に速攻でモジュラージャンクしてさっさとメールのやりとりだけをしてしかるべき料金を払って、最後に思い切り笑顔で「ありがとう」を言うという方法を採らざるを得ないのです)を渋々承諾してくれましたし、なかなか結構なお宿でした。
日が暮れてから夕食のために出向いたサンサルバドルの街は「迫力」という言葉がしっくりくるほど騒然としたところでしたが、町の中心部にある屋台村のようなところに行くと人は「食欲」という言葉で結ばれるのかそれなりに和気あいあいという雰囲気も漂い「やっぱり来てよかったね」と思わせてくれるものがあったのでした。
98年8月3日 サンサルバドルからマナグアへ
エルサルバドルは2都市、2日間だけで抜けることになりました。次の目的地はホンジュラスとするか、ホンジュラスをパスしてニカラグアにするかという2点でかなり迷ったのですが、最終的にはホンジュラスは通過するだけにすることにしました。ホンジュラスにはカリブ海沿いにロアタン島という小さな島があって、そこにはアンソニー・キー・リゾートというダイバーの間ではかなり有名なリゾートホテルがあるのです。リゾートホテル自体は正直言ってどうでもいいのですが、そこには世界的に有名なドルフィンダイブのポイントがあるのでした。僕たちは一応オープンウォーターのライセンスは持っているもののさほどスクーバダイブには思い入れはないのですが、ドルフィンダイブと聞くと胸騒ぐものがあって心千路に乱れました。しかし、僕たちのいつものバス&船のパターンでロアタンまで行こうとすると最低でも片道2日、おまけにアンソニー・キー・リゾートの宿泊費はツイン一泊270アメリカドルから。いくら三食込みだ、マリンスポーツ施設使い放題だと言われても日頃100円程度のホテル代の差をめぐって宿選びに労力を費やしている我々には「一生の思い出だから」という言葉もやや説得力に欠きます。思い出なら、この旅行を初めて2ヶ月半ですが既に素敵な思い出がいっぱいありますしね。ということでロアタンには「旅行を終えて働きだしてから、有給使ってパック旅行でまた来よう」と、自分たちがパック旅行できる性分ではないことを知りながらもそう言って豪華リゾートはパスすることに決定したのでした。
サンサルバドルからは朝の4時に起きだしてニカラグアへと向かう国際バスのキャンセル待ちをし(こちらも現在夏休み中で、普通に予約を取れるのは2日後になると言われていたのです)、なんとか切符がとれた僕たちはホンジュラスを通り過ぎ一気にニカラグアの首都マナグアへと向かいました。
マナグアへは予定通り12時間後に到着し、「一夜宿 Hospidaje Meza」2ベッド、シャワートイレ共同一泊80コルドバ=約1100円に逗留して崩れ落ちそうな天井を見ながら早いとこさっさと寝ちゃいました。
なんせこの町、治安に問題があるためか、ホテルはもちろんレストランまでもみんな頑丈な鉄格子に覆われていました。そんなところでビール飲んでも小心者にはどうも美味しく味わうなんてことはできないのですよ。
98年8月4日 マナグアからマサヤへ
やはり首都というのはどうも苦手です。だいたいどこの国においても一番物価が高くて、治安が悪いのは首都ということになっています。マナグアもその例に漏れなかったようで短期滞在の僕たちには「殺伐としたところ」としかマナグアの町をとらえることが出来ませんでした。もう少し落ち着ける町を目指して移動を続けます。
今日の移動はマナグアから25キロ南のマサヤという町。昨夜レストランであった旅行者の言葉を頼りに行ってみることにしました。ローカルバスで一時間弱。日本のガイドブックには「乗るな」と書いてある地元のバスですが、よほど運が悪くなければちょっと気を使うところが多いだけで安くて快適な乗り物です。
「たいしたものはないけどのんびりした町」マサヤでHotel Regis(2ベッド、シャワートイレ共同、一泊110コルドバ=1500円)というちょっと高いけど居心地のいいところに宿をとりました。
98年8月5日 マサヤからグラナダへ
今日もまた移動です。8月に入ってから連日移動の繰り返しです。マサヤの町は気に入らなかったのではないのですが、
・コスタリカに日本の家族から荷物を送ってもらうように依頼をしていてそれが気になるので先を急ぎたい
・i-net接続のための電話線が確保できない
・そろそろ南米への興味が強くなってきた
などの理由から即日撤退を決めました。移動といっても次の目的地グラナダはマサヤから南へ18キロばかり下ったところ。バスで40分ほどです。グラナダはメキシコ・シティーの日本人宿で複数の旅行者からいいところだと聞いていたので以前から立ち寄ることにしていたのです。
グラナダでのお宿は市場前の「Es Finge」というところ。2ベッド、シャワートイレ共同、一泊60コルドバ=850円、縦に広くやたら天井の高いちょっと変わった部屋は市場が近いわりには静かで宿のおばさんも愛想が良かったのでお世話になることを決めました。
98年8月6日 グラナダからサン・ファン・デル・スルへ
しつこいようですが、また今日も移動です。8月の1日以来、連続6日。もちろん、今回の旅行中余裕の最高記録です。いくら短距離とはいえこうも毎日移動が続くと、この「旅の行程」を書くのも楽じゃありません。グラナダは「しばらくいればどんどん、面白くなりそう」と予感させるものがあるところでした。それなのにどうしてまたわずか一日で移動することになったかというと問題はホテルでした。「何かいた」のです。他のホテルに移ってもよかったのですが、そろそろまた海が恋しくなってきていたし、どうせ荷物をパッキングするんだったらと、一度ケチがついた町を出て海辺の田舎の村を目指すことにしたのです。
ニカラグア最後の町となるだろう今度の引っ越し先はコスタリカとの国境近くの海辺の村サン・ファン・デル・スルです。今度こそ静かで過度に観光化されていないでのんびりできそうです。
宿泊先は「Hospidaje la Fogata」3ベッド、シャワートイレ共同、70コルドバ=約1000円。ぼくは連続移動の疲れのためか数日前から風邪気味だったのでここでしばらく体を休めようと考えました。
98年8月10日 サン・ファン・デル・スルからリベリアへ
サンファンは「トランキーロ」なところでした。トランキーロとはスペイン語で「穏やかな、安心した」という意味なのですが、この村はその言葉が打ってつけのところでした。まださほど観光化されていなくて、地元ニカラグアの人達が週末を過ごしに来るぐらいでみやげ物屋もなければしつこい物売りや客引きも一切ありません。ビーチはさほどきれいではありませんが、潮が満ちてくると波乗りにちょうどいい波が立ちます。他には雑貨屋程度しかない小さな村には何故かビリヤード屋が5軒もあり、日が傾き始めるとビールの瓶も傾いて、村の男達が集まってきていつもにぎやかにやっています。辺りが暗くなる頃には家々の前に椅子が並び、村の人達は遅くまでおしゃべりを楽しんでいます。
そんなゆったりした時間の流れは、少々疲れ気味だった僕たちには何とも心地よくてたまに波乗りをする以外には特に何をするのでもないのですが、平和な時間を過ごすことができました。
サンファンでしばらくのんびりしたのち僕たちはコスタリカに向けてまた移動を開始します。コスタリカの国境までローカルバスを乗り継いで出て、久々に自力で国境を越えます。それまでの国境は国際バスに乗って超えることが多く、バスの添乗員さんが何かと世話を焼いていてくれたのです。今回は全くサポートなしの国境越えで、ガイドブックを見ると「コスタリカを出国するためのチケットを持っていないといけない」「マラリアの予防薬を持っていないといけない」(いずれも僕たちは持っていませんでした)などとmust記載があったので少々心配していたのですが、結果はno
problemで超えることができました。
コスタリカに入ってからはまたしばしローカルバスに乗り、リビエラという町まで移動です。そこから更に内部へと移動しようかとも思っていたのですが、移動の途中で仲良くなったオランダ人カップルと一緒にリビエラに一晩泊まることにしました。リビエラの町はそれまでいたサンファンとは違って妙に空気がカーンと抜けたさわやかなところでした。リビエラでのお宿はラ・カソナ(2ベッド、トイレシャワー共同 2500コローネス=約1400円)でした。これはその後の旅でも確認できたのですが、コスタリカの町や宿は中南米ではナンバーワンと言えるぐらい小ぎれいでさっぱりしています。僕たちの泊まる安宿もその恩恵をこうむって、久々に清潔なシーツの上で安らかな眠りにつくことができました。
98年8月11日 リビエラからアレナルへ
次はアレナルという火山の麓の町です。ここの目的は今も溶岩を噴出しているという火山を見ることと温泉にはいることです。リビエラからローカルバスを3本乗り継いで3時間ばかりでアレナルに着きました。わりとリゾート的要素が強いこの村には安宿がなく、辛いところでしたが何とか値切ってカビナス・ロドリゲス 4000コローネス=約2200円 2ベッド シャワートイレ付きに宿をとりました。
98年8月12日 アレナルからフォルツーナへ
アレナルはあまりに宿代が高いので、近くのフォルツーナという村に移動します。途中「アレナル・ボタニカル・ガーデンズ」という個人運営の植物園でトロピカルフラワーを観賞しました。湖畔の辺鄙なところにあるアレナル・ガーデンズからフォルツーナへ向かうバスは一日2本しかなく、数時間のバス待ちを迫られた僕たちは移動手段をヒッチハイクに切り替えました。ヒッチハイクは初めての経験でしたが、ここコスタリカは治安も良く人もフレンドリーなのでその後の経験も含めて驚くほど簡単にヒッチできました。
フォルツーナまでの50キロの道のりをぼくはピックアップの荷台で快適に過ごし、村に着いてからは親切な運転手さんは宿の値段の交渉までしてくれました。
98年8月13日 フォルツーナからサンホセへ
残念ながら火山の方は雨期のため雲が邪魔して溶岩を噴き上げる豪快な景観を楽しむことはできませんでしたが、温泉の方はどっぷり浸かって旅の疲れを癒すことができました。それではと、コスタリカの首都へ向かいます。フォルツーナからなぜか途中乗り換えがある「ダイレクトバス」で4時間。首都サンホセにはいろいろと用事がありました。日本から大使館気付で送ってもらっている荷物を受け取ること、サンホセ在住の知人に会うこと、南米へのエアーチケットを用意すること等々。コスタリカの首都は想った以上に大きな町でしたが僕たちは用事の片付け易さを重視して市の中心部に宿をとりました。
サンホセのバックパッカーの溜まり場宿ホテル・グランド・インペリアルは2ベッド、シャワートイレ共同、2000コローネ=約1100円でした。
98年8月19日〜21日 サンホセからトルトゥゲーロ国立公園へ往復
サンホセでおおかたの用事を済ませた僕たちはコスタリカを出る前にもう少しコスタリカらしいところをみていこうということで、旅行会社のツアーに参加してトルトゥゲーロ国立自然動物公園に行ってみることにしました。
コスタリカは国土の4分の一が国立公園で、観光はコスタリカの国をあげての大きな事業となっています。特に近年は「エコツーリズム」という言葉で表現される、自然とより親しもうとする旅行形態が注目を浴びていて、日本にいるときからぼくもコスタリカのエコツアーのことは耳にしており興味を持っていました。もちろん、こういったツアーで行くとどうしても僕たちのバックパッカースタイルで行くよりお値段も高くなり辛いところではあったのですが、次の移動まであまり時間がなかったので効率よく見てまわりたかったのと、どうせなら「いかにもコスタリカ」という旅も一度は体験してみようということで、大枚200ドルをはたいてトルトゥゲーロ国立公園への2泊3日の旅に参加しました。
結果は別の項に記しましたが、やはり僕たちにはいつものバックパッカースタイルの旅が性に合うようだと実感してサンホセに帰ってき、前と同じホテル・グランド・インペリアルに逗留しました。
98年8月23日 サンホセからハバナへ
突然ですが、キューバに行くことにしました。コスタリカのあとは一気に南米に飛ぶことにしていたのですが、その前にカリブ海に浮かぶ社会主義の小国をみておこうということになったのです。旅行を始めて以来、複数人のキューバ体験済み旅行者から「彼の国は一見の価値があるよ」とキューバ行きを勧められ迷っていたところ、サンホセの旅行代理店で往復のエアーチケットと3日分のホテルの宿泊付きでひとり257ドルという格安チケットを見つけた僕たちは「これはもう買いでしょう」とカリブ行きを決めたのでした。
チケット自体は一種のパックツアーチケットでしたが、キューバが大好きになってしまった場合にそなえて帰りのフライトはオープンとしてもらって、この旅行を始めて以来二度目の飛行機に乗ることになりました。
しかし、パックツアーの料金というのはよく分かりませんね。サンホセ−パバナ間の往復のエアーチケットは250ドル。それに7ドルプラスすると3つ星クラスのホテルの3日分の宿泊と、空港からホテル間ので送迎、ハバナ市内のバスの周遊券が一日分つくというのです。旅行会社の内情に明るくないぼくにはどうしてそういうことになるのかさっぱりわかりませんでしたが、どう考えてもお買い得だろうということでまたまたパッケージツアーの人となりました。
98年8月27日 ハバナからサンホセへ
行く前は「まあだいたい1週間ぐらいかな。もしかしていたく気に入れば2週間ぐらい居てしまうかな」と考えて出かけていったキューバでしたが、結果的にはわずか5日間で帰ってきてしまいました。端的に言えばさほど好きになれなかったということです。キューバが嫌なところだというわけでは決してないのですが、僕たちにとっては旅をしづらいところだったというのがその大きな理由です。2週間、3週間と居てその土地のリズムをつかめばかなりはまるのだろうなと感じさせるものは確かにあったのですが、南米へと心が傾き始めていたせいもあったのか残念ながら僕たちはカリブの海に浮かんだ国のラテンのリズムに自分たちを同化させることが出来ませんでした。「旅する国をすべて好きになろうとするのも無理な話だろうから」と自らを慰めてとっととサンホセへ戻る飛行機に乗ったのでした。
サンホセへ戻ってからはいつものお宿のホテルグランドインペリアルに部屋をとりました。