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旅の小話 大陸編 その一

旅の小話ヨーロッパ編

【大陸編その一】

旅の目的追加

 以前にヨーロッパを旅する目的をいくつか説明させてもらったが、実際にこうして旅を始めて見るとさらに新たな目的が加わった。ヨーロピアンの生活を現地で肌で感じるというものである。

ヨーロッパで居候暮らしをすることは当初から予定していたが、それは懐かしい友達に会えておまけに経費も節約することができるからいいではないのといった感じの軽いノリだった。でも、実際こうして居候というかたちで彼らの生活に入り込んで至近距離からその暮らしぶりやものの考え方に接してみると、これが実におもしろいのだ。ヨーロッパに来る前からこちらの人は日本人とは違った考え方やライフスタイル(苦手な言葉だけどほかに適当な表現が見つからないので)を持っているのだろうとは予想していた。しかし、実際こちらにきて数カ月を過ごしてみると、その違いはぼくが想像していた以上にはるかに大きなものであると思えるようになってきた。ちょっと大げさで月並みな表現を用いれば、それはカルチャーショックとも言えると思う。そこのところをさらに深く知りたくなってきたのだ。

 こういうことができるのは申し訳ないけれど、はっきり言って時間にゆとりのあるお気楽旅行者の特権だろう。1週間や2週間の日程では『観光』に忙しくてその地の生活に自分をシンクロさせるなんて、よほどの旅の達人でない限り不可能に近い。貧乏旅行者の僕たちにはヨーロッパのリッチな旅はとてもじゃないけどできないけれど、時間と笑顔にものをいわせての厚顔寄生虫生活ならできる。僕たちなりにできる範囲で『ヨーロッパを知る旅』にしてみたい。 99.9.10記

Total Solar Eclipse

 皆既日食をみにいってきた。凄かった。残念ながら天候に恵まれなかったため、すべてをみることはできなかったが、それでもそれが極めて特別な自然現象であることはじゅうぶん理解することができた。

 僕たちは日食を見ることを楽しみにしていた。南米のあと、ヨーロッパを旅の舞台に選んだのも、この日食をみることが大きな理由のひとつだった。でも、いまにして思えば、すなわち一度自身で日食を体験したあとに思えば、キトの安宿で「よし、日食を見に行こう!」と奇声をあげていた頃、僕たちはまだなにもわかっていなかった。

 僕たちは日食というのは『見る』ものだと思っていた。太陽が月に犯されていき、次第にあたりが暗くなり、ピーク時にはコロナが見えて、太陽が再び月の影から姿を現す瞬間にはダイヤモンドリングとよばれる極めてめずらしい太陽の姿が見えて…と。僕たちはそんな非日常的な太陽の姿を見て神秘的な感動を味わって、できればコロナの写真なんてとれればいいなぐらいに考えていたのだ。

 それらは間違いではないけど、違っていた。少なくとも僕が体験した限り、それはまったく違っていた。そう、日食は『見る』ものではなかった。もちろん『観測』するものでもなかった。それは『体験』だった。ひとつの極めて純粋な『体験』だった。五感で、あるいはそれ以上の、普段は緩慢な日常の中に埋もれて使われることのない感覚までも駆動されて全身全霊で受得する崇高な瞬間の連続だった。

 太陽が月に犯されていきその姿を失おうとしている瞬間、僕の目からは涙があふれ出てとまらず、激しく震えだすからだはどうにもコントロールすることができないものになっていた。正確に言えば、僕はコントロールしようとする意志さえ失っていた。尋常ならざる自然現象への恐怖感からなのか、太陽の偉大な力を見せつけられての畏怖の念からなのか、自分の中に起こった激しい変化の理由を見つけることはできなかった。僕はただ感受するのみの存在としてそこにあるだけだった。

 あまりに悲しいことに、あまりにも悲しすぎることに太陽のすべてが月の影に入って普段は目にすることのできない炎の触手が姿を現そうとしたそのときに厚い雲が空を覆ってしまい、僕はその最も感動的といわれるクライマックスをこの眼でみることはできなかった(その瞬間僕はあまりの悔しさに気もふれんばかりだった)。それでも、ダイナミックな、まったく非日常的な劇的な光の変化は『感動』とか『興奮』とかの平生の生活の中に紛れている言葉で言い表せる範囲を超えた精神的な変化を僕の心の深い部分に与えてくれた。

 「日食というのは単なる天体現象を越えた神秘的な現象だ」というような内容の記事を雑誌かなにかで読んだことがあった。また、世の中には『エクリプス・ハンター』とよばれる人たち(皆既日食が世界のどこかで観測されるたびに出かけていって、日食を体験している『日食追っかけ』というか『日食オタク』の人たちです)が少なからず存在するということも聞いていた。そんな断片的な生彩感を欠いた知識から、僕たちも一度は日食というものを経験してみようと、のこのことヨーロッパまでやって来たわけだが、皆既日食時間帯が終わり、再び太陽が姿を現して急速にあたりが明るさを取り戻していくなかで、僕は呆然としたまま「こういうことだったんだ…」となんどもなんどもつぶやいていた。

 恥ずかしながら、いまここであえて宣言してしまおう。僕たちは次の日食も必ず体験すると。2001年6月21日。アフリカのジンバブエかマダガスカル辺りだ。その頃は僕たちもこの旅を終えている。おそらくは日本で普通に仕事をしながら暮らしているだろう。それでもやって来よう。日本に帰って新しい生活の糧を探すとき、eclipse huntingのための休暇が取れない仕事は、選択肢から除外されることになるだろう。少なくとも、いままだ興奮がさめやらぬ僕には、あの偉大で荘厳な時間を体験することを不可能にする境遇に身をおくことは自分の生き方として正しいものと考えることができないから。 1999.8.13記

古き良き街

 コペンハーゲン。美しい街です。街の中心部には18世紀、つまり200年以上前のものなんてざら、古い古い建物がたくさん残っています。なかには16世紀や17世紀のものもあったりします。場所を選べば、360度まわりのどこを見回しても全部18世紀以前の建物に囲まれるなんてことも可能です。これはいいものですよ。ヨーロッパに来るまでそんなこと考えもしなかったけれど、歴史をかさねて重みのある建物というのはなんとも人の心を落ち着かせてくれるものです。いくつもの季節を過ごしてきたあいだにその街の空気と同化してしまったかのようなレンガの色、凡庸に沈みすぎることなく適度な個性を有しながらまわりと調和した建物達が放つしっとりとしたリズム、人が自分の足で歩いて登れる高さの屋根と石畳の道路のあいだをはしゃぐように吹き抜ける風。そんな街の中を、守らなければならない時間も、たどり着かなければならない場所も、他人から与えられた使命もなく、肩の力を抜いて、それぞれの街角が与えてくれるささやきのようなものだけを頼りに、右に折れ、左に折れ、歩き、立ち止まり、振り返り、そしてまた歩きとしていると、そんなはずはないのにふとした懐かしさを覚え、自分の中のどこかで冷たく小さくなりかけていたものがまたゆっくりと動きはじめるような気がしてきます。

 僕たちはヨーロッパに来てからアントワープ、ブルージェ、アムステルダム、コペンハーゲンとヨーロッパでも古い街並みが残り美しいといわれる街で少なからぬ時間を過ごしてきて、すっかりその魅力にはまってしまいました。その美しさに、そして街に溢れる気のようなものに。

 ある種の古さを残した街には、なにか暖かさのようなものがそなわっているように思います。数百年のあいだ生きてきた街が、人の歴史が、今もそこに生きる人を優しく守ってくれているような気がするのです。これは、ぼくの思い込みだと言われればそれまでで、それを証明する科学的根拠はまるでありません。でも、その街にゆったりと腰を落ち着けて、少しだけそこに住んでいるような気分になって、なるべく自分のまわりに壁を作らないようにして街を歩いていると、そんな風に思えてくることがたびたびあるのです。そして気のせいかまわりの人の表情にもとげとげしたものが少ないようですし、また街の犯罪率も比較的低いと聞きます。

「自分たちの住む街は美しいところだからヨーロッパに来たら是非寄ってくれよ」そういって僕たちをいざなってくれた友人達にほんの少しの羨ましさと大きな感謝の念を覚えます。  1999.9.13記

ある日コペンハーゲンで

 コペンハーゲン市内のクリスチャニアとよばれるヒッピーエリアを歩いていたときのこと。道のかたわらのベンチに座って僕たちがひと休みしていると、散歩中のお父さんとその子供に出会った。4歳ぐらいの男の子は僕たちの前を通り過ぎながらずっとこちらを見つめている。やはり日本人はまだ珍しいのだろうか。いや、それだけではなさそうだ。

 子供を見守るようにしてあとからついてくるお父さんと目があったので、「ハイ!」と挨拶する。彼も挨拶のあと、僕たちに何ごとか話しかけてくる。デンマーク語はまったくダメな僕たちが身振りでそのことを伝えると、英語なら大丈夫かいと確認した上で、もう一度言い直してくれた。「この子はダウン症候群なんだ。だからじっと見つめてしまったけど、悪く思わないでくれよ」と。

 ぼくの頭の中で、なにかピシッと割れるような音がした。なんでそんなこと笑顔で語れるんだい。日本で歯医者の仕事をしていた頃、ダウン症の子供や家族と接する機会がときとしてあったが、彼らのほとんどはその問題に対してあまりオープンな姿勢をとらないで、あるいはとれないでいたようだ。聞かれもしないのにあかの他人にそのことについて語るということは滅多とないことだろう。どうしてこんなに違うのだろう。居候先のヘンリックと話をした。「日本ではダウン症やハンディーキャップの人達はある種のコンプレックスのようなものを抱いていて、そのことを隠そうとすることが多いのだけど、今日出会った人はまったく違っていた。あれはクリスチャニアの人がヒッピー系の人達で特別オープンだからなのだろうか?」すると、ヘンリックはなんの迷いもなく即答してくれた。「いや、そんなことはない。デンマークではハンディーキャップの人がコンプレックスを抱くというようなことはない。だって、そんなことをしていたらその人は自分のライフを楽しめないではないか」と。また、頭の中でなにかがはじけた。どうしてぼくはそんな当たり前のことに気がつかずに今まで生きてきたのだろう。どうしてこちらからしかるべきアプローチをしていなかったのだろう。

 日本は先進国だとされている。確かに技術面、産業面ではそれは疑いのない事実だ。でも精神面ではまるで後進国、発展途上にあるかさえ疑わしいと考えるのはぼくの思い過ごしだろうか。  1999.9.13記

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