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アパラチアン・トレイル縦走 - ホワイト・マウンテン・セクション
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ワイルド・ワイルド・イースト


アパラチアン・トレイル - ホワイト・マウンテン・セクション(オールド・ジャクソン・ロード)ワイトマウンテン・ナショナルフォレスト(ニューハンプシャー州)のピンカム・ノッチ・ビジター・センターで車を降りた時、はっきりとした計画が出来ていた訳ではなかった。ただ漠然と、エリアの最高峰マウント・ワシントンを含むプレジデンシャル山脈を2週間歩く、という事だけが決まっていた。トレイルに関する予備知識も何もなかった。

※マウント・ワシントン: 標高1900m。気象観測史上最悪の条件が記録された山として有名。

アメリカには本土を縦断する3つの長大なトレイルがある。西のシエラネバダ山脈に沿って走るパシフィック・クレスト・トレイル、内陸深くロッキー山脈を 縦断するグレイト・ディバイド・トレイル、そして東部に今回歩こうとするアパラチアン・トレイルがある。これはその名の通り、メイン州マウント・カターディンからジョージア州ス プリンガー・マウンテンまでアパラチア山脈を縦断し、全行程走破に半年は掛かるものだ。

ピンカム・ノッチ・ビジター・センターにはバックパッカーの為の面白い設備がある。荷造り用のパック・ルームだ。ちょっとした駅の待合室くらいのスペースがあり、雨の日などにはありがたい(実際この時一瞬の通り雨があった)。ここでダンボール箱入りで持参した食料を1週間分づつ半分に分け、半分をビジタ ー・センターで保管してもらう。

ルート選定に関しては白紙状態だった。友人から借りた地図とガイドブックは持っていたが、研究する暇もなかった。正直な所、アパラチアン・トレイルを甘く見ていた。

ビジター・センターで話を聞き、庭に出て地図を広げて考えた。この辺りはアメリカでも最も古くから登山活動が行われてきたエリアで、トレイルも複雑に絡み合っている。ピンカムから見て西に、1日で往復できるだろう距離にマウント・ワシントンがあった。ピンカムから北に向かうと、マウント・アダムス経由で、丁度1週間でマウント・ワシントンを回ってピンカムに戻れそうだ。そのルートがアパラチアン・トレイルそのものでもあった。

既に時計は昼を回っていた。出発間際にまた通り雨があった。樹間から垣間見る空には厚い雲がかかり始めて いた。観光地ピンカム・ノッチの喧騒を後に、蒸し暑さの中、緩やかな上り坂を 歩き出すとたちまち汗が噴き出して来た。マウント・ワシントン山頂に続くオート・ロードを横切り、マディソン・ガルフ・トレイルへ進む。次第に石や木の根がごつごつ出て来て、それらしい道になってくる。途中、沢の一つで休んでいると、1人のスルー・ハイカーが通り過ぎて行った。

※スルー・ハイカー: アパラチアン・トレイル完全踏破を目指すハイカー、トレッカー

歩き始めて2時間、今度は雷雨が始まった。傘を差してしばらく木陰で様子を見るが、雨は激しさを増すばかり。仕方なく歩き続ける事にした。気温が程好く下がったのが慰めだったが、トレイルが川と化した。ピーボディ・リバーへ続く支流の一つを越えると、最初のキャンプサイトが現れる。しかし、痩せた肩の上の限られたスペースは既に先客の大きなテント2つで一杯だった。
オズグッド・テントサイトの朝
次のキャンプサイト、オズグッドはそう遠くなかった。幸いな事にテント2つ分の大きさのプラットフォームが備わっており、その片方が空いていた。先客のテントに向かって声を掛けると、若い女性の声で返事があった。その頃には雨は止んで、周囲の木々から滴が落ちるのみになっていた。乾いたテントで寝られるのが嬉しかった。

激しい雷雨は3時間続いた。金曜とは言え、そんな状況下でやって来るのは、この日は自分が最後だと思っていた。が、それから暗くなるまでの1時間ほどで新たに5、6組のパーティが到着し、小さなキャンプサイトは賑やかになった。その中にさっき自分を追い越して行ったスルー・ハイカーもいた。

翌朝起きて驚いた。本来はテントを張らない筈の、下の岩がデコボコした空間にまで新しいテントがひしめいていた。
マウント・マディソン2日目は好天になった。マウント・マディソンへ向けて、ほぼストレートな急登が始まる 。場所によっては手も使う事になる。予想以上の険しさだ。人の話によれば、こ の辺りのトレイルは100年以上古いものだから、後に整備された西部の国立公 園のようなジグザグ道は皆無だという。至る所大きな石がごろごろし、木の根が 露出する。更に前日の雨で滑り易くなっている。

また蒸し暑くなってきた。Tシャツが汗で重くなる。

やがて森林限界が見えてきた。空が広がる。また雲が湧き、後方に見えるマウント・ ワシントン山頂を隠し始めていた。休んでいる間に、シアトルから来たという、 昨夜のお隣さん2人と、いかにも元気一杯の3人の青年グループに抜かれた。また登り始めると調子が出て、岩場でシアトルの2人を抜いた。マディソン頂上であの3人に追い着いた。先週までコロラドにいたせいか、標高が上がっても息苦しさを感じない。


マディソン・ハットAMCが経営するマディソン・ハットが眼下に見えた。あっという間に下る。今日すれ違った多くの人はここから下って来た。小屋の張り出しの被い越しに鼻歌が聞こえてくる。地面には石鹸水が流れ出ていた。

AMC: アパラチアン・マウンテン・クラブ

ハットで水を貰い、ボトルを満たして次のキャンプ地バレー・ウェイに下る。

バレー・ウェイ・テントサイトには、それぞれ2組がテントを張れるプラットフォームが2つ、削り出した急斜面に設置されていた。空いていたプラットフォームの一つにテントを張った。

水を汲みに行って戻ると、隣のスペースに4人の若い男女がいた。ケベック・シティから来たフランス系カナダ人だった。

少し遅れてシアトルの女性2人がやって来た。

「もう10分早ければ、プラットフォームは君たちのものだった。」

そう言ったら、リーダーの女性は悔しそうな顔をした。2人は地面の上に適当に作られた、あまり居心地がいいとは言えないスポットにテントを張る事になった。本当は場所を替わって上げるべきだった。その方がカッコいいし、シアトルの女教師とも仲良くなれたかもしれない。しかし、一度セットアップしてしまったキャンプをまた動かすのはおっくうだ。少し負い目を感じたので、2人のテンティングを手伝った。

土曜日とあって、バレーウェイも夕方までには満杯になった。夜は皆で焚き火が楽しめた。

夜半から強風が吹き荒れた。隣のテントを補強しているらしい物音が聞こえた。

翌朝は静まり返っていたが、周囲は視界50メートルもない厚いガスの中だった。雨になるという予測もあり、その日は停滞を決め込んだ。じっくり地図を眺める時間ができた。自分以外全員キャンプサイトを引き払ったが、夕方までにはまた新たな3組のパーティーがやって来た。
マウント・アダムス・サミット3日目の朝は冷え込んだ。初めは晴れていた空も、マディソン・ハットへ登り返し、スター・レイクを過ぎてマウント・アダムス稜線にとりつく頃には雲に覆われてきた。

大きな岩がごろごろした南側ルートをよじ登る。途中2組の親子とすれ違った。

山頂には誰もいなかった。風が強く、寒かった。次から次へとガスが流れて来て殆ど展望もない。岩陰で一服しただけで、次のガルフサイド・トレイルに向けて下る。

この時の懸念は、例の雷雨だった。そうなる前に森林帯に入るべきだ。次に通り抜けるポイントは、その名もサンダーストーム・ジャンクション。だが、これはいつの間にか通り過ぎていた。
サンダーストーム・ジャンクションの方向を振返る
ガスもいよいよ高度を下げて来るが、しっかりと丁寧に積まれたケルンの導きは心強かった。最上部に置かれた白い石が灯台の灯りのように、濃霧の中でもはっきり見えた。

この時点で目指していたのは、エドマンズ・コルから東の谷に下るシックス・ハズバンド・トレイルだった。しかし、この選択は大きな誤算だった。



魔のシックスハズバンド・トレイル


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