田中 芳樹 Tanaka Yoshiki


1952(昭和27)年、熊本生まれ。学習院大学文学部博士課程修了。1978年、第3回幻影城新人賞受賞、1988年「銀河英雄伝説」で星雲賞受賞。他の主な著作に、「アルスラーン戦記」「創竜伝」「長江落日賦」など。


『海嘯(かいしょう)』 (中央公論社)
        ISBN4-12-002688-4 C0093 \1600E / 1996.05.25 / 1,600円 + 税
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「海嘯(かいしょう)」

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【海嘯 (かいしょう)】
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「国破れて山河あり」と言いますが、13世紀中国の南宋の滅亡ほど悲劇色の濃い王朝の終焉もないことでしょう。忠義を尊ぶ朱子学の影響なのか詳しいことは判断がつきませんが、国に殉じて死にゆく人たちのなんと多かったことか。

 田中芳樹氏の「海嘯(かいしょう)」は、文天祥が主人公だと知って手に取りました。13世紀の中国、フビライ汗率いる元の進軍による南宋の滅亡を主題に扱った作品です。



 物語は、国政を私物化して亡国の危機を招いた老政治家の無残な最期から始まります。
 この、老政治家の死から始まるあたりが、歴史通で知られる著者ならではの作品構成上の美意識だなあと感じ入りました。物語は、ひとりの偉人の誇り高き最期と凡人にしかなれなかった男の後日談を紹介して幕を引くのですが、この冒頭と結末の対比というか、対照の構成がお見事です。美しいです。
 また、平素穏やかな文天祥が元の将軍に激烈な言葉を吐きつける場面も出てきますが、この個所も作品内で占めているウェイトは高いと思います。ここの場面がなかったら、全体の深みは生まれなかったかも。

 本作での文天祥は容姿秀麗で品行方正、そうかと思えば無類の楽天家で喜怒哀楽の感情をストレートに出す少年のような人物として描かれています。ですが、読んでいて「おやっ」と意外でしたが、作中での味方である南宋の重臣たちからは、文天祥はそれほど重要視されていないのです。逆に、敵である元側からは高い評価を受けていて、「あいつだけは殺すな」なんて言われている。文天祥の方でも南宋の武官である張世傑とはどこかそりがあわずにいたりします。巻末のあとがきにも書かれていますが、この人物の評価が高く上がるのは、南宋の国が滅びてからのちなのです。

 よみものとして純粋に面白い場面は、文天祥とそのわずかな仲間とが元軍から脱走する個所でしょうか。無名の庶民や忠義に篤い人物たちに助けられ、元軍の追走をかわして逃げる文天祥はそうした人たちのありがたみを深く知り、明らかに人間としての幅をひろげてゆきます。

 反対にこの上なく悲しかったのは、事実上の南宋滅亡の場面である第7章「克R」でした。これから読まれる方のために詳しくは書きませんが、悲痛です。「克R」の二文字が目に染みます。

 こうして、国は滅びてしまい、文天祥は元軍にとらわれ軟禁されます。元の総帥フビライは文天祥の人物を惜しみ、自分に仕えるように何度も勧告しますが、文天祥はことごとくそれを拒否し、ついに処刑されてしまいます。誇り高き偉人の名誉ある最期でした。

 自分には忠義に殉ずる生き方はとてもできない、と思う。そうした意味では、文天祥とは異なり、敵前逃亡を繰り返した陳宜中を笑うことも軽蔑することも出来ない。無力な僕に出来るのは、ただ、文天祥の少年のように清雅な笑顔を遠くまぶしげに想像することのみ、です。

(2000.07.09 作成)



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