人間のサイズ

 

人間工学という学問があります。快適な生活を営むために我々の身の回りにある機械,器具等をどれだけ人間のサイズにマッチさせるかと言う学問・研究のひとつです。
 たとえば住居の中では,廊下の幅は人間の肩幅を基本に長さが決められますし,台所の流しの高さは成人身長からはじき出した作業のし易い高さが採用されています。机の高さも然りです。すべて,身の回りの生活器具の形は,人間のサイズを基本に造られたモノが数多くあります。
 さて,この人間のサイズが無視されたような形とか空間と言うのは我々には快適なモノでないようになります。言い換えると,我々の身の回りの「形」が我々の「思い」や「考え」の表現であるとすればで,当然快・不快を抱く形や空間も存在します。
 アメリカの都市を歩くと街のスケールに圧倒されます。ニューヨーク,ダラス,ヒューストン,ロサンゼルス等。道路幅は無視されたような超高層ビルの高さ。道路の両サイドに歩道は有っても人間が共生出来る(快適に歩ける)空間では有りません。なぜなら,この空間は昼間のビジネスの空間です。人がくつろぎ,住まう為の空間ではありません。似たような場所は東京にも有ります。新都心と言われる西新宿の超高層ビル群の空間です。車でいちもくさんに駆け抜けなければならないような空間で押しつぶされそうです。機能性と経済効率が最優先されて考え出された空間が大都会の超高層ビル群の空間と言えそうです。。
 一方ヨーロッパの都市を訪れると,建物の高さには多くの都市で制限を設けて超高層の建物が有りません。パリとロンドンの大都市に超高層ビル群は有りますが,全体的には横への拡がりを持つ街並みが殆どです。そのような都市では,本当に街を「歩く」という感じになります。道路幅と建物の高さが調和しています。歩いていても見上げることなく街の空間が目に入ってきます。人間のサイズが街に拒否されることなくとけ込んでいます。人が住まっています。現在の市場主義経済に組み込まれた街並みと比べると時代遅れの街並みですが,人間のサイズが頑なに守られています。地方に行くと中世の街並みが現在でも残っています。日本で言えば,萩とか弘前,奈良と言った街並みになるでしょう。
 ヨーロッパの人もお金は好きですが,日曜まで働く気は無い。お店は平日も18時ぐらいで閉店。これはヨーロッパの長い歴史,伝統から培われた習慣でしょうし,住人もそれなりの生活している。店が閉まっている日曜は歩きやすい街並みをウィンドウショッピングで楽しむ彼等には,どんなに機能的で経済的な生活様式があったとしても直ぐにはそれに飛びつかない。最初は,両手を拡げて抵抗しながら少しずつ用心深く受け入れているような気がします。便利なモノとか生活と言うのは,機械に使われている生活と言う事になります。そこまでして便利な生活はノーサンキューと言う人が多い。常に人間が中心にあって物事が成り立っているのがヨーロッパです。ヨーロッパの民主主義。アメリカの自由。
 さまざまな環境がいろいろな形を創っていきます。
 東京という街の住人と地方都市の住人とでは生活様式とか考え方には違いが出てきます。これはそれぞれの生活環境の違いだと思います。交通機関の発達した環境とそうでない処では人の動きにも違いが出てきます。バブル後の後遺症にも違いがありました。大都市(市場経済主義の恩恵を受けた)ほど症状が重い。地方都市にはさほど影響は見られなかった。挙げれば双方にはたくさんの違いがあるでしょう。これも「形」の違いの一つです。人の「思い」や「考え」が,具体的のも抽象的にも,ある「形」を造っているとしたら,それぞれの人間のサイズに合った心地よい形がいいはずです。

 

1998年07月10日金曜日 作:村上 精紀