2003年9/28日
- 丸投げ
司馬遼太郎著の「この国のかたち」に「カッテンディーケ」という章があります。幕末に海軍技術の教官として日本に赴任してきたオランダ海軍士官です。オランダ、新教と旧教の対立ゆえスペインに占領され、反乱/戦争のうえで独立を勝ち取った小国。海洋国として台頭した後、なまじ経済的に成功した事で英国やフランスに目の敵にされ、戦争をしてはその都度負けた国。特に、宗教の絡んだ戦争では残虐行為が発生しがちであり、オランダは旧教の大国による攻勢から自分の信仰を、自分の家族を、さらに国の独立をを防衛するべく、皆で団結しそれこそ死物狂いで戦った事でしょう。こうした中で、国家への帰属意識が形成されるのは自然な事です。司馬遼太郎曰く;
との事。なるほど、自然国家 = nation においては住民であったのが、近代国家 = state では国民になったという所でしょうか。国民として国家に帰属意識を持ち、同一であると認識するという面もあると解釈します。
で、このカッテンディーケが長崎の商人に「長崎が攻撃された時、この街は防衛できるか」と聞くと「知った事ではない。それは幕府の仕事だ」と答えたそうです。カッテンディーケも「どうも、国家安全保障については日本人はその義務感が希薄のようだ」と書き記しています。これには
などの要因が考えられますが「お上に弱い」という日本人の国民性も関係しているような気がします。当り前の事ですが「お上に弱い」という事は「お上の言う通りにしてさえいれば良い。その結果については全てお上の責任だ」という丸投げと表と裏なのです。
小泉首相が「丸投げばかり」と批判されていますが、これは日本は大統領制ではなく、議員内閣制なのですから当然の事です。法を守り立法府(議会)を尊重しようとすれば、丸投げになるのはやむを得ない面があります。ところで理屈の上では、国民が民主主義選挙にて選出した政治家の失政 = 主権者たる国民の責任です。にもかかわらず、以下のような人は少なくありません;
丸投げは小泉首相の専売特許ではありません。強いていえば、国民こそが主権者としての責任を丸投げしています。政策の企画立案もその結果に対する責任も、全て政府に丸投げしてしまっているのです。
- Blood Tax
ところで、このページの主題は日本人の丸投げ体質についてではありません。主題は「Blood Tax = 兵役」です。Blood Tax、直訳が「血税」です。共同体の一員として、その共同体を防衛する事に責任を有するという概念自体は、近代国家の成立よりはるか以前から存在します。人類は、狩猟採集生活から農耕定住生活へと移行した時に氏族制の集団社会を形成したと考えられますが、農作業という集団作業をするにも、農場や収穫物を略奪者から防衛するにも、強力なリーダーが必要であり、ここにその後永らく続いた「君主制」が成立したと考えられます。
そして人類が次に形成したのは都市国家です。中国、インド、オリエント、4大文明は全て都市国家から始まっています。ここで4大文明から少しおくれて都市国家を形成したギリシャにおいては、2つの点において他とは異なっていました;
人類の歴史とは戦争の歴史です。ギリシャにおいて市民の力が増し、民主主義、それも直接民主主義が成立した理由は、農園を経営して富を貯えたり商工業に従事する平民市民が戦時には「Hoplites = 重装歩兵」として「Phalanx = 密集方陣型」を編成し、軍事力の主体となったからです。鎧兜にすね当てを装着し、左腕に盾、右手に長槍を持って戦う重装歩兵。こうした装備を用意するためには経済的余裕を必要とします。ギリシャでは貴族の騎兵に変わり、余裕のある中産階級が軍事力の主体となった事が彼等の政治的発言権を増大させ、民主主義が産まれたのです。こうした 王政 → 貴族政 → 民主政という政治形態の移行をもっとも良く表しているのが、ギリシャの代表的ポリスであるアテナイです。
当然の事ですが、権利と義務は表と裏です。現在の日本にも参政権と同時に「勤労、納税、教育」の義務が国民に課せられています。古代ギリシャのポリス社会において、参政権の代償は「Blood Tax」であり、有事に際してポリスという共同体を防衛するために兵役に就く事であったのです。重装歩兵として戦場に立つ平民市民達。敵対していたペルシャの軍のように、数は多いが傭兵や強制徴用された者ばかりという軍隊ではありません。ポリス同士の戦争(土地の奪い合いである事が多い)にそなえて訓練を積み、実戦経験も豊富です。また、政治に関わる者達であるだけに軍規は厳しく、そして何よりも「自分の土地財産を、自分の家族を、自分の所属する共同体を防衛する」という高い目的意識を持ち、戦意盛んでありました。
- 重装歩兵密集陣型:「Phalanx」&「Legion」
ここで少し、話がそれます。ギリシャにおいて創作された「Phalanx = 密集方陣型」という戦術は、集団戦法であるがゆえ、個々の兵士の技量よりは陣型を維持するための「団結」と「献身」が重要であり、その為には「不屈の意志」と「訓練」が重要でした。しかしこれは突進力には優れているものの、左右への機動運動には難点があります。
これを改良したのがマケドニアです。密集方陣の両翼に騎兵を配置し、歩兵にはギリシャの物より一段長い槍を持たせたそれは「マケドニア式密集方陣」。通常、槍先を揃えて隙間なく強固な隊列を組み、槍ぶすまを作って押し立ててくる Phalanx に対し、歩兵の援護無しに騎兵が突撃しても成功する可能性はほとんどありません。しかし、陣型がバラバラになった歩兵を、特に退却しようとする歩兵を背後から騎兵が襲えば、一方的な殺戮となるのが常でした。アレクサンダー大王は、カイロネイアの戦いにて旧来のギリシャ軍を撃破し、その戦法の優位性を証明すると同時にギリシャの覇権を獲得します。ついで、150年前のペルシャ戦争の報復に挑むべく、アケメネス朝ペルシャへ遠征軍を起すのです。
まさに軍事的才能の権化とも言えるアレクサンダー大王指揮下のマケドニア軍は怒濤のごとく進撃し、グラニコス河畔で、イッソスの隘路で、そしてガウガメラの大平原において、兵力において数倍するペルシャ軍を一方的に撃破します。「アラララライ」という鬨の声をあげ、アレクサンダー大王指揮下のマケドニア軍は古代オリエントを席巻し、インドにまで至る大帝国を築くのです。
BC331年12月、ガウガメラの戦いは、まさにマケドニア式密集方陣とそれを駆使する大王の真骨頂と言える戦いでした。自らマケドニア軍右翼の先頭に立って突撃するアレクサンダー大王がペルシャ軍の左翼を突破するのが早いか、あるいはペルシャ軍右翼がマケドニア軍の左翼を破り包み込むのが早いか、時間の戦いです。結果は言うまでもなく、騎兵の突撃によってペルシャ軍の左翼を抜いたアレクサンダー大王が反転し、敵の背後から襲い掛かり、自軍の歩兵とでペルシャ軍を挟撃し、その後はもう一方的な殺戮の場と化したのです。
この歩兵と騎兵の連携プレーという戦術を一段高く精錬させたのが、第2次ポエニ戦争においてイタリア半島を席巻したカルタゴの猛将ハンニバルでした。言うなれば、騎兵を有機的に活用して敵を寸断し、最後には包囲殲滅するという戦術であり、歴史に名高いカンネーの戦いにおいて兵力において2倍のローマ軍を殲滅しています。しかしカルタゴ側の主導権争いゆえに本国はハンニバルに充分な補給を送らず、そしてそれまでにローマに征服されていた都市国家が思ったよりも「この機に乗じて造反しよう」としなかった事からローマ本国を占領する事ができず、逆に北アフリカに上陸した(大)スキピオがカルタゴ本国に迫るに至り、急ぎ帰国したハンニバルはザマの戦いで敗北し、第2次ポエニ戦争は終結するのです。奇しくも、この時にスキピオが採った作戦はハンニバルの得意とした騎兵と歩兵を有機的に連携させるという物であり、ハンニバル軍はカンネーの戦いと似たような状況で逆に包囲殲滅されたのです。ハンニバルを撃破したスキピオは、この功績も以て「スキピオ・アフリカヌス(アフリカを征する者)」との称号を得ます。
この戦法はローマ帝国において「Legion」と呼ばれる陣型へと進化し、一応の完成を見ます。Legion、日本語では「軍団」と訳されている事が多いようですね。現在でも「Phalanx」「Legion」は、暴徒の鎮圧に当る機動隊の陣型に、その痕跡を見る事ができます。
- ローマ帝国の軍事力
話を「Blood Tax」に戻します。王政 → 共和制 → 帝政へと歴史を歩んだローマ帝国の統治体制、その変遷はまさにローマ帝国の軍事力の変遷の歴史でもあるのです。ティベレ川近くの7つの丘に形成されたローマ、その基盤は農耕であり、決して積極的に外征を行って領土を拡大しようという性質の物ではありませんでした。自衛の為の戦争を繰返しているうちに、いつのまにか大帝国になってしまったとも言えるのです。そして建国当初より、その軍事力の根幹はローマ市民による歩兵の密集部隊でした。
ローマが王政から共和制へと移行したのは BC510年頃と推定されますが、その社会構成は「貴族」「平民」そして「従属民」「奴隷」という4つの身分に分かれており、自作農民である平民には参政権はありませんでした。共和制時代のローマでは、実際の行政、司法は貴族から選出された任期1年の2名の執政官が執り行い、そして有事のような非常時には任期半年の1名の独裁官が選出され、あらゆる全権を行使しました。しかしギリシャのポリス社会でそうであったように、平民の重装歩兵および軽装歩兵が軍事力として主要な地位を占めるにつれて発言力を増し、身分闘争が激しくなります。BC287年のホルテンシウス法により、少なくとも法制上は貴族と平民は全く平等になります。
余談ですが、戦時統制下においては1名の最高指令官にあらゆる全権を付与するというのは当然の事です。兵学の基本講座を持出すまでもなく、指揮命令系統の一本化なくして戦争を遂行する事などできないのです。戦前戦中、日本が軍国主義であって、軍部の弾圧により国民は言いたい事も言えなかったというのは GHQの宣伝および戦後の左翼教育によって相当に誇張されています。当時、日本は戦時統制下にあったというだけの事なのです。
日本が戦った敵である米国においても、ローマの独裁官がそうであったように、ルーズベルト大統領一人に非常大権を集中させています。ルーズベルト大統領は、その非常大権を以て GMや GEなどの民間企業を軍需産業へと瞬く間に転換させているのです。日本が全体主義的になったのは軍部による強制というよりは、明治維新によって士農工商の身分制度が廃止され「国民皆兵」となった事、および日本人の「横並び」「皆と一緒に」という国民性のせいであると言えます。(* 参考:「危機管理体制」)。
さて、名将ハンニバルが連戦連勝し「これまでにローマに征服された国々が、これに乗じて叛旗を翻すだろう」と期待したのに、そうはならなかった理由はなんでしょうか? それはローマの同盟政策にあります。農耕国家であったローマは、戦争によって領土を拡大しようという意識は乏しく、侵略的ではなかった事は既に述べました。そして征服した相手への条件も極めて寛容な物であったのです。基本的にそれまでの政治体制や宗教には手を付けず、もちろん賠償金や献納のような処罰もありません。条件としては「有事に際しては、ローマの防衛に協力する事」、つまり Blood Tax を払えという事であり、さらに支配階層にはローマ市民権を取得する事を奨励しさえしました。降伏した相手を、従属させるのではなく同盟者として遇したからこそ、ハンニバルがイタリア半島を席巻した時でも彼等は叛旗を翻さなかったのです。そして、祖国ローマ防衛の意気に燃える平民は続々と軍に志願し、最後には逆転勝利したのです。
さて、第2次ポエニ戦争の後も、カルタゴはすぐに滅亡した訳ではありません。海外領土を全て失い、莫大な賠償金を課せられ、軍備も制限されローマの許可無く戦争する事も禁止されました。しかし今からは想像できない程、当時の北アフリカは豊穣な土地であり、カルタゴは農場経営により国力を回復します。もはやローマには及ばずとも、地中海貿易でもローマのライバルとして息を吹き返し、利潤をあげ、50年ローンという条件であった巨額の賠償金も一括して払いたいと申し出る有り様です。
そもそも、イタリア半島を統一したばかりの新興のローマが、時の超大国であったカルタゴと開戦したのは大バクチであり、勝利したのは幸運であったと言えます。目覚ましく国力を回復するカルタゴにローマが恐れを抱いたのは当然の事でしょう。中でもローマの政治家であったカトーは、どんな演説でも最後は「デ〜レンダ・エスト・カルタ〜ゴ!!」と叫んで締め括るのが常であったそうです。和訳すれば「カルタゴは、滅ぼさなければならない!」。
カルタゴは、ローマに対して「第2次ポエニ戦争以降、カルタゴはローマに戦費や小麦などの軍需物資で協力してきたではありませんか」と釈明しますが、ローマは「血も流さずに何を言うんだ」と嘲笑を以て応えます。血を流す、つまり他の同盟国のように Blood Tax をもって協力しない限り、決して真の同盟者とは認められないのです。BC149年、カルタゴ自身の不手際もあってローマはカルタゴと第3次ポエニ戦争を開始し、BC146年には完全に滅ぼし、市街は徹底的に破壊され塩をまかれました。この時のローマ軍司令官は、奇しくも(大)スキピオの孫である(小)スキピオでありました。
ポエニ戦争によってカルタゴから巨額の賠償金を得たローマは、味をしめたとでも言いましょうか。イタリア半島を統一するまでの融和政策を捨て、戦争は全て侵略・略奪目的となり、征服地は収奪の対象である属州としかみなさなくなっていくのです。それが再び融和政策へと転嫁するのは、アウグストゥス(オクタビアヌス)によってローマが帝政へと移行し、領土拡大も一服して対外的に守勢に転じてからです。アウグストゥスは平和政策を進めて軍隊を整理し、征服地の他民族(特にゲルマン民族)でも、一定期間兵役に従事すればローマ市民権を与えるようにしたのです。つまり、新たに共同体の一員として認められるためには、Blood Tax を支払い、その共同体の防衛に従事する事が必要だったのです。
余談ですが、現在の米国でも、移民が米国市民権を手っ取り早く取得する方法に、兵役に従事する事
= Blood
Tax
を支払う事があります。その他、兵役に就いた者が大学へ進む時に優遇措置があるため、裕福ではない家庭の出身者が大学に進む方法として、高校卒業すると兵役に就く場合があります。2003年春のイラク侵攻において、偽りの救出劇だったのではないかと噂されているジェシカ・リンチ上等兵は、大学進学を目的に兵役に就いていたようです。
- 現在の日本
さて、これまで延々とギリシャやローマの Blood Tax の話をしてきたのは、翻って現在の日本について話をするためです。第2次ポエニ戦争後のカルタゴと大平洋戦争後の日本、よく観察するとそっくりなのです。敗北の中から目覚ましく経済復興を遂げた日本。平和憲法を制定され、交戦権を放棄させられた日本。湾岸戦争ではその憲法を理由に Blood Tax を支払う事を拒否し、お金だけ出した日本。ここまで読んでくれた人は、何故、日本の巨額の資金協力が全く評価されなかったのか、もうお分かりですね。そう、Blood Tax を払っていないからです。かつてのカルタゴは「お前なんか、本当の友人じゃない。同盟国じゃない」とされて、滅ぼされてしまいました。日本はどうなる?
自民党の YKKを「友情と打算の三角関係」と評したのは、K = 小泉首相その人です。事実「加藤の乱」では、小泉氏は友情よりも打算を選び、同じ派閥の先輩である森首相を護る立場を採り、加藤氏は無念の涙を飲みました。そして、人間関係にも「打算、利」と「友情」があるように、国家と国家の関係にも「利、国益」と「仲間意識」の両方があります。それは共和制時代のローマ自身、痛切に感じた事でしょう。
BC390年、いわゆる「ケルト・ショック」によって、完全に灰塵と化したローマ。ケルト人が去った後、それまでラテン同盟を結成しローマに従ってきた同盟諸都市が援助してくれるかと思いきや、逆に真っ先に襲いかかってきたのです。ローマはそれを乗り越えて、さらに「敵をも自らに同化する」という占領政策を進め、そしてその仲間意識がハンニバル戦争においてはローマを救ったのです。「利、打算」だけでも「友情」だけでもダメ、双方のバランスが大切なのです。
* 参考:「国際法、その成立ちと限界」
日米安保条約により、日本は米国の同盟国です。9/11テロ後のアフガン戦争においては「Show Japanese Flag」、2003年のイラク戦争においては「Boots on the Ground」、これはつまり「同盟国なら、Blood Tax を払ってくれ」という意味です。日本が「日本は米国の同盟国なんだから、北朝鮮問題では協力して下さい」と言うのであれば、米国が「なら、日本も Blood Tax を払ってくれ」と言うのは当然の事なのです。カルタゴがローマに滅ぼされたように、Blood Tax を払わぬ限り、決して日本は真の同盟者とは認められないでしょう。
イラク戦争は大義なき戦争です。しかししょせん、安全保障というのはエゴです。国際情勢/外交というのは綺麗事ではありません。日本が米国に助けて欲しいなら、日本も米国を助けねばならないのは当然です。日本がそれを拒否するのであれば、米国も「拉致問題!? 拉致されたのは日本人であって米国人ではない。知った事ではない」と言えるのです。
* 参考:「北朝鮮による拉致と国家安全保障」
一方、日本は中東イスラム諸国に石油の 90%を依存しており、イスラム世界における反日感情にも配慮せねばならないという苦しい立場です。米国べったりという姿勢を見せる事は得策ではありません。さて、どうしたものでしょうか?
まず、米国の占領統治費用を賄う資金供出は必要でしょう。金額は10月にブッシュ大統領が来日しますから、その時に発表できるように水面下で交渉しているのではないでしょうか? また苦境に陥った米国は国連の関与を求めるべく国連決議の採択を画策しています。国連を無視して開戦しておいて、今更、国連に協力を求めるというのも身勝手な話ですが、いまさら時計の針は開戦前には戻せません。日本としては国連決議は「米国べったり」という印象を和らげるための口実で良い。仮に国連決議が採択されたら、Blood Tax を支払うべく自衛隊をイラクに派遣するべきと思います。
* 参考:
「SDF should be dispatch to Iraq or not」
「イラク復興支援と自衛隊派遣/経済効果」←
「反対」としているのは、当時は円高が進んでいなかったからです。G7
にて為替介入を批判され、円高が急激に進んだ事が、自衛隊派遣を渋る日本に対する警告(懲罰)と思われるふしがあるため、現在は意見を変えました。
参考文献:塩野七生著「痛快! ローマ学」
その他:「戦術の世界史」