資本主義のエンジン vs 公共性

〜 富への欲望こそが人を動かす 〜

Revised on 2004. 9/4日

- この世で、ただで動くのは地震だけ

最近、昔の漫画が再刊されてコンビニなどで販売されています。紙や製本の質をグッと落とし、その換り値段は劇安。う〜〜む、世の中、もうしばらくはデフレか!?

で、日本にはスポ根ブームを現出したり、自身が所属していた極真空手館長のマス大山を題材にした格闘漫画の原作を手掛けた梶原一騎(故人)という劇作家がいたのですが、そんな格闘漫画の一つをコンピニでぺらぺらとめくっていたら、マス大山をモデルとした空手家が「この世で、ただで動くのは地震だけ」とのたまっておりました。私のような奴は「うむむ!!! 何たる名セリフ」と感じ入ってしまった。


- 人は、経済的利益で動く

世の中、ただで動くのは地震だけだとすれば、人は何で動くのでしょうか? イデオロギー(政治的信条)で動く人もいますが、これは高度な知性と意志力/使命感を兼ね備えた人に限られます。日本の学生運動において、東大を筆頭とした超難関大学が中心となったのは、学生がなまじ頭が良く、共産主義というイデオロギーを理解してしまったからでしょう。実際の所、圧倒的多数の人を突き動かすのは経済的利益、端的に言えば「お金」でしょう。これは「生きるためには喰わねばならない」から「贅沢したい」までを含みます。

実際、共産主義の総家本元である旧ソ連においてすら、庶民はイデオロギーなんぞのためには働かなかった。さぼっても真面目に働いても大差がない、という事ならバカバカしくて真面目になんかやってられんという人がほとんどであり、結局、西側との競争に負けてしまった。


- 企業実体の公準:株主の有限責任

資本主義が共産主義に勝利し高度に発展した理由は何でしょうか。国土が極寒の北に偏っていた旧ソ連はもともと不利であった事が一つ。そして資本主義が「人間の欲望」にピタリと合致したシステムであった事でしょう。特に「VOC:栄光の「連合オランダ東インド会社」」に始まる株式会社にて導入された「株主の有限責任」という概念は秀作でしょう。

個人事業主の場合、企業の資産と自分のそれとの境界線は無いに等しく、経営破綻すれば自分の資産も差押えられ、生活破綻する可能性があります。しかし株式会社においては、企業という経済主体を、その所有者(株主)とは別個の物とみなすのです。これを「企業実体の公準」と言います。

従って、株式会社の形態を採れば余裕資金を持つ人はその範囲内で出資(企業を所有)できるのと同時に、企業が破綻しても出資金以上の責任を負わされる事はなく、安心して投資できます。企業にとっては「お金を儲けたい。でも、破産したくない」という人達から、市場を通じて資金を調達しやすい事になります。このように「人間の欲望」という強力なエンジンを搭載した株式会社軍団を擁していた資本主義は、共産主義より圧倒的に有利だったのです。

株式会社制度も万能ではありません。人間の欲望には限りが無く、そうした人間の欲望をエンジンとしている事の弊害もあります。例えば、欲に目の眩んだ人がカモにされる数々のマルチ商法や投資詐欺事件がそうです。また、エンロン事件が思い出されます。エンロンは米国型コーポレートガバナンスおよび金融工学の成功例として賞賛されていましたが、エンロンの経営者は粉飾決算で利益を膨らませ、株価を釣り上げ、ストックオプションにて私服を肥やしました。それを監視するべき立場にあった監査法人も、利益に目が眩んで逆に粉飾に加担し、結果、エンロンもアーサーアンダーセンも破綻に追い込まれました。

株式会社は、その所有者たる株主のために専門家が経営を行うという建前で運営されていますが、経営者もまた限り無い欲望を持つ人間なのです。エンロン事件は、経営者が株主利益ではなく自己の利益を追求して破綻に至った良い例でしょう。また、2003年8月の米国大停電が思い出されます。言うまでもなく電力というのは極めて公共性の高い事業です。各年度の収益を嵩上げしようとすれば、発電送電設備のメンテナンスコストを削減すれば良いわけですが、そうしたインフラ整備を怠れば、あのような結果を招く事にもなるのです。


- 日本の場合

さて、よく言われる事ですが、日本は世界で唯一、成功した社会主義国家です。勿論、それで上手くいっている間は良かったのですが、事ここに至っては規制緩和/構造改革に全面的に反対だという人はほんの一握りでしょう。しかし「全てを自由競争/市場に委ねれば、それで何もかも上手く行く」「規制とは、絶対的な悪」というわけではありません。市場とは「人間の欲望」「剥き出しのエゴ」の激突する場所であり「社会正義、公序良俗、公共性」については人間の欲望に委ねるわけにはいかないのです。

これは結局、企業とは誰の物で、誰が意思決定するのかという問題であり、それには

  1. 「株主の物」という、会計理論からの側面を強調する考え方
  2. 「ステークホルダー(株主、債権者、経営者、従業員、顧客、ect の「利害関係者」の広く曖昧な総称)」の物とする方が現実的という考え方

という2通りの考え方があります。大まかに言えば、前者はアングロサクソン流、後者は日本的な曖昧な物と分類できますが、米国でも「コーポレート・ガバナンス」(企業統治)のあり方には意見が分れており、一概には言えません。また、戦前にドイツ流をベースに制定された商法は後者、戦後に米国式を導入した証券取引法は前者に近いと言えます。例えば、賃貸住宅を考えてみましょう。住宅は「家主の物」ですが、しかし借手の権利というのは法的に強く保護されています。借手にも生活があり、突然「この家は私の物なんだから、私の言う事が絶対だ。今日中に出ていけ」などという勝手を認めてはならないのです。株主の権利は保護されて当然ですが、しかし絶対ではありません。

バブル崩壊以前の日本経済は、財閥系銀行を中心とした系列、大手流通業の事業拡大が見られました。現在、支援される身のダイエーも '80年代には総合生活産業を旗印にあらゆる分野で日本一を目指し、リッカー、マルコー、リクルートなどを傘下に収めて再建を支援する側の立場でした。しかし最近のUFJを巡る MTFGと MSFGの買収合戦や、ダイエーを巡るウォルマートやイオン、投資ファンドによる動きなどを見ると、日本企業のビジネスがかなり米国的になってきたという印象を受けます。

これから日本でも、郵便事業や道路公団の民営化、医療や農業への株式会社の参入、国立大学の法人化など、公共性の高い分野でも規制が緩和され、市場化/自由競争化が進む事になるでしょう。「株主・債権者・従業員・顧客など、利害係者の利益」と「社会正義、公序良俗、公共性」のバランスをどこでどのように取るか、議論を踏まえて規制緩和を進めていくべきだと思います。


Return to Top Page