2003年春、イラク侵攻において米国は国連決議無しに、ほぼ単独(小規模の英国軍はありましたが)で対イラク軍事行動を実施しました。それに対して、どうも「国連は、世界の平和のために活動している世界政府だ」と勘違いしているらしき人々が「国連決議無しの米国のイラク戦争は国際法違反だ」という批判が沸き上がりました。この批判は的を得た物なのでしょうか?
- 国際法のなりたち & 平和を求める遺伝子
流石に、平和を嫌いだという人はそう多くはないでしょう。ところで「平和を求める遺伝子」なる物は存在するでしょうか? 私は「自分自身、あるいは自分の所属する共同体全体の利益を守るため」、平和を求める遺伝子は存在すると思います。
まず、自分の所属する共同体の内部に限定すれば、平和的解決が全体の利益になる事に疑問の余地はない。しかるに共同体の外、つまり他の共同体との関係について考えた場合にどうかが問題になります。高らかに「平等、自由」を謳った米国独立宣言、しかしこれはアングロサクソンという属性も持つ者が所属する共同体内部でだけの物であり、黒人や Native Americanという別の共同体については差別という名の敵意と蔑視をむき出してしていました。黒人を差別して奴隷として酷使する、Native Americanから土地を奪い虐殺する事に、アングロサクソンの「利」があったわけです。これを国と国の関係に置き換えると、外交という物の本質は容易に理解できます。
しかしながら、なんでもかんでも「エゴ」をむき出しにすれば、自分達の利益を守れるわけでもない。むしろ、他者との関係を適度にバランスを取り、譲歩しあった方が結局は自分達の利益を守る事ができるという場合は多い。ここで「平和を求める遺伝子」が発現します。国際法にしても、兵器が進歩し戦闘の形態が変遷するに従い、何らかの抑制の枠組みが必要であるとして整備されてきたわけであり、他者との関係を適度にバランスする事は、結局は自分達の利益を守る事なのです。
例えば「外交官特権」という物があります。これは「互いの軍使は殺さない」というしきたりから発生した物です。和平を申し込んできた敵の使者を殺してしまったら、あるいは和平をもちかけるこちらの使者が殺されてしまったら、いつまでたっても戦闘は終わらない。結局は自分の利益をも損なうわけです。そこで、互いの軍使は殺さないというしきたりができたわけです。
三国志(正史ではなく演義の方です)などを読んでも、赤壁の戦いにおいて曹操の軍使を呉の周瑜が殺してしまおうとするのを側近が「国同士が戦っていても、互いの軍使は殺さぬのがしきたりです」といさめる場面がある。ここでは結局は殺しちゃうけど(笑)。このようにしきたりであった物を土台とし、国際法として整備されていき、それは今も外交官特権としてその効力を留めているわけです。憎い敵の使者ではあっても、殺したいという衝動を抑える事が自分の利益になる、そうしないと和平が成立しないのです。
- 国際法/国連の限界
ところで、自分が抜きん出て圧倒的に強大であり、他者との関係に配慮する必要が無いという場合はどうでしょうか?この場合には、平和を求める遺伝子は機能しません。ただひたすら自分のエゴを丸出しにして追求する事ができるのです。仮に、Native American や黒人の軍事力が移住してきたアングロサクソンに劣らぬほど強大であり、配慮を示さぬわけにはいかないという状況であれば、米国の独立宣言は彼等にも適用されたでしょう。そうする事が、結局はアングロサクソンの共同体の利益を守る事にもなるからです。しかし現実には、彼等はさほど武力を有していませんでした。アングロサクソンは彼等に配慮などせず、ひたすら搾取する事に共同体の利益があったのです。その事は、イラク攻撃に対する米国の姿勢を見ている我々は、肌で感じて理解しています。
国際法とて同じ事です。国際社会における最大の枠組みは「国家」であり、国連は国家に命令する権限を持ってはいません。「イラクに戦線布告するぞ」というのは、米国の国家主権で決定できるのです。「国際法を守る事、錦の御旗として掲げる事」に利益があれば、そうするでしょう。しかし「無視する事」に利益がある場合には無視されてしまうという、国際法という特殊な法規範の本質を忘れてはなりません。
それゆえ、国連憲章10条「各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認めるときは、その権利の行使として、条約から脱退する権利を有する」という規定に基き、国際条約を破棄する事ができるのです。また、米国は1984年以来、ユネスコから脱退していた例があります。これは、当時のユネスコ事務局長を排除する目的で財政的に締め上げる事を意図していました。粘ってはみたものの、結局は事務局長が辞任した事により、米国はやっと復帰を決めたのです。このように国際条約というのは、国家戦略によって左右されるものなのです。
国際法は「国家が自主的に遵守する事を合意する物」であり、国内法規と違って「強制力」がありません。実際に力を行使して法を施行する力があるとすれば、それは強力な国家
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覇権国家という事になります。国際法の歴史を顧みれば、フーゴー・グロチウスという16世紀の「国際法の父」とも呼ばれるオランダの学者の唱えた「公海自由の原則」というのは、当時のオランダというスーパーパワーの後ろ盾があって初めて法としての実行力が伴ったのであります。原則を崩そうとする“違反者”(海賊もいた)を、その頃のオランダはとり締まるだけの力を持っていたのであり、国際法の発展は覇権国家の歴史と平行してきたのです。
- 平和を願うだけでそれは実現するか?
この質問についての私の答えは、以下の通りです。
私の立場は
口で「平和、反戦」と唱えるだけの平和真理教徒の皆さん、あなたはどうですか? 口先だけではないのですか? 暗殺をも恐れず行動できますか? 石油に依存した生活様式を放棄できますか? イラクに人間の盾として行き、フセインから軍事施設で寝泊まりするように言われて、ほいほいと行けますか? それができないなら、口先だけです。仮にそうである場合、私のあなたの違いは「どうせ実際に行動する勇気覇気がある訳じゃなし、口先だけで偉そうな事を言う資格なんて俺にはない」と思うか、あるいは実際には何もしない出来ない自分という現実から目をそらし、口先だけで偉そうな事を言うかどうかの違いでしかありません。
この現実論と理想主義的平和論の対立、及びその調停というのは、個人同士のレベルですら昔からの難問です。これが国内世論の対決、さらに国際社会での対決ともなればくんずほぐれず大騒動です。例えば、戦争を無くすというのは、国家と国家の紛争、テロ組織と国家の紛争を無くすという事です。平和真理教徒の皆さんは、お隣の夫婦喧嘩ですら調停できますか? 「犬も喰わない」と見てみぬふりをしませんか? 平和主義を反戦を唱えてイラクに人間の盾として入国した人々は、危機が具現化すると白昼夢から醒め、一斉にイラク国外に逃げ出し始めた事が伝えられています。これが示唆しているのは何でしょうか?
フランスとドイツ、それにロシアが米国による攻撃に異を唱え、平和真理教徒から大いに賞賛を浴びました。しかし、ジャック・シラク大統領はイラクのフセイン政権と親密な間柄で「ジャック・イラク」と陰口を叩かれる人物である事を認識していますか? 以下、フランスに立場について意見を述べます。イラク攻撃に反対しているフランスは、平和を願い平和の為にイラク攻撃に反対している訳ではない事を御理解下さい。フランスが米国によるイラク攻撃に反対しているのは;
などが言われていましたが、加えるとイラク問題はフランスにとって伝統的なナショナリズムの問題でもあったわけです。ドビルパン仏外相が国連で行った演説は、ドゴール主義的な内容であった指摘されています。つまり米国とは違う何らかの別の立場を(今回は国際法上の合法性)表明し対抗するというやり方です。しかしイラク攻撃の直前、大統領支持派優位の議会から、それも与党内部から親米を主張する声が出ていました。フランスが拒否権を行使した場合の対米関係の悪化が焦点です。国連を核とした国際的な法秩序で、覇権国家米国を抑止できるか否かが疑問視され、拒否権行使の是非を巡り意見が割れる事態を招いたのです。覇権国家の力の論理を国際社会の枠組みで制御する事ができないのならば、やはり各国は「力」の論理のみに頼らざるを得ません。
そもそも、その国際社会の枠組みからして、これまでは覇権国が描いてきたのです。国連の当初の実態は「戦勝国による世界支配機構」でしかありません。国連や国際法では覇権国は止められないのです。反戦であっても、フランスの場合は「米国に対抗したい」というナショナリズムに起因する平和論であり、いざ拒否権を行使するかどうかという具体的問題に直面した途端に「フランスは大国だ」という白昼夢から醒める事を余儀なくされ、意見に動揺をきたす結果となったのです。フランスが大国であったのは過去の栄光に過ぎないのです。
- 日本の現状
戦後、60年近くも有事に遭遇した事のない日本は、完全に平和ボケの状況にあります。拉致問題では予想外に盛り上がったものの、それにも飽きてきたと見えて沈静化しているし、北朝鮮の瀬戸際外交に対する関心もさほど高くないように思われます。しかし北朝鮮危機の瀬戸際外交がさらにエスカレートし、危機が具体化した場合でも、日本の世論が果たしてこのままでありうるのか?
平和的解決には極めて長い時間が必要です。そういう長期的な議論は、目先の危機を解決しないのです。江戸時代同様の生活に戻り、暗殺をも辞さぬ覚悟で反戦運動を実践しようという人には、私は頭を垂れるのみです。しかし私と同じく、石油を大量消費する生活様式を捨てられず、おまけに暗殺覚悟で行動する事もできないというなら、安易に反戦を唱えぬ事です。まして、国際法や国連決議を錦の御旗であるかのように錯覚したり、フランスやドイツが反戦を唱えているからと安易に拍手喝采を送るのは愚の骨頂です。
反戦を唱えるなら、白昼夢から醒めた状態でどうぞ。白昼夢に浸った状態での反戦に意味はありません。
- Appendix. 国連について
第1次世界大戦を終えるにあたり、米ウッドロー・ウィルソン大統領は14ヶ条の平和原則を掲げました。「秘密外交の廃止」「海洋の自由」「通商の自由」「軍備の縮小」「植民地問題の公正な解決」「バルカン半島やオスマントルコなどの各地の民族自決」そして国際平和機関の設置などです。ところで、ウィルソンは南北戦争以来初めての米国連邦側から選出された大統領で、白人至上主義の意識があったらしいという話もあります。日本が国際連盟規約に入れるよう提案した人種差別撤廃条項はウイルソンによって潰されたという。奴隷制度には賛成で、クー・クラックス・クランとの接点もあったらしいです。
そのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟(リーグ・オブ・ネイションズ)」が誕生するのですが、期待された機能を果たさないまま崩壊してしまいます。まず、国際連盟の最大の弱点は米国が加盟しなかった事です。主唱者が米国のウィルソン大統領であったにも関わらず、最終的に米連邦議会は、第1次大戦の戦後処理条約、つまり国際連盟の設立を主要な内容とするベルサイユ条約を批准しませんでした。それに加えてソ連も加盟せず(日本の脱退後に加盟)、さらに途中で日本が脱退し、機能不全に陥り第2次世界大戦をを防ぐ事が出来なかったのです。
第2次大戦が開始した後、すでに戦争の終結を考えていたルーズベルトは「4つの自由(言論の自由、宗教の自由、飢餓からの自由、恐怖からの自由)」を提唱し、戦後の平和を担保するメカニズムとして国際連合の設立に尽力するのですが、発足当初の国連は戦勝国クラブであり、戦勝国によって国連を恣意的に運用するための仕組みが、国際連盟の反省を踏まえて導入されています。
国連(国際連合):The United Nations。1941年8月の大西洋憲章に端を発し、1945年10月に51ヶ国で発足。日本は、1956に日ソ基本条約締結した後、ソ連(当時)の支持をとりつけて加盟しています。総会・安保理などの6機関と14の独立機関を持ち、現在191ヶ国が加盟しています。
そもそも、国連を日本語訳した時点で間違いがあります。UN = United Nations であり「連合国」と訳するのが正しいのです。つまり国連 = 戦勝国クラブであり、敵国条項により日本を含む枢軸国は国連の敵なのです。国連を「世界平和を実現するために活動している世界政府」「国家の上に位置する存在」であるかのように勘違いするのではなく「如何に国連を利用し、日本の国益を守るか」という視点を持つ事が必要でしょう。実際には、国連の総会には6つの主要委員会があり、各委員会は以下のように諸問題を担当しています;
各国とも、こうした「舞台」において自国の利益を追求する努力をしているのですが、国連が活動するには資金が必要です。その最大の出し手である米国が「一番たくさん金を出してるんだから、思う通りにならないのはおかしい」と思うのは当然でしょう。自分がその立場で、しかもダントツに巨額の資金を出していたらと思えば、私だって「ザケンナ!!!、俺がイラクに侵攻すると言ったらするんだ。お前らは黙ってそれを容認する決議をすれば良いんだ」と思います。だって、金出してるんですもん(笑)。
それを「横暴」と批判するのは、視点を変えれば間違っています。拒否権の問題についても「大国だけが持っているなんて不公平だ」というのは一面でしかありません。視点を変えて「より多くの活動資金を拠出している一部の大国に、その見返りとして認められている特権」と捉えれば、別に不公平でもなければ非合理的でもありません。株主総会に喩えてみれば、議決権は保有株式に比例しているのです。お金を出している奴が偉いのです。