組長のちょっとしたネタ・其の一


夢乗せて、35年 「哲学の道」の正しい由来は? 消えた米騒動の舞台

やめられないとまらない・・・神戸空港の建設 鎌倉の大仏に大仏殿がない理由





夢乗せて、35年・・・
ビュワーンビュワーン走る 青いひかりの超特急 時速250キロ すべるようだな 走る 
ビュワーンビュワーン ビュワーン 走る
ビュワーンビュワーン走る 丸いひかりのボンネット 時速250キロ 飛んでくようだな 走る
ビュワーンビュワーン ビュワーン 走る
                                                   
(はしれちょうとっきゅう みんなのうたより)


 この歌、一度は耳にした事があるのでは?

 1964(昭和39)年10月1日、「夢の超特急」としてデビューした、初代新幹線「0系(ゼロケイ)」。
現在活躍している新幹線達のとがった顔とは違う、団子鼻の愛嬌ある顔つきで親しまれてきた0系。現代の子供達
が新幹線と聞いて連想するのは、「のぞみ」であり、500系や700系の新・新幹線でしょう。しかし、その1
世代前の人達にとっての「新幹線」とは、やはり、この0系ではないでしょうか。

 0系は、開業当時、東京と大阪を4時間で結び、時速200キロを越す最高速度(世界最速)を誇り、高度経済
成長のシンボルとなりました。東海道新幹線を運行しているJR東海によると、0系は、3216両製造。これま
でに、東海道で延べ25億人を運び、今年3月までの総走行距離は9億600万キロに達しました。
 しかし、近年、続々と登場した新型車両に主役の座を奪われ、現在、東海道では、3編成(1編成16両)が、
各駅停車の「こだま」で東京−名古屋、東京−大阪で各1往復が走るだけとなってしまいました。

 開業から35年。東京と大阪、両都の距離を縮めた「夢の超特急0系」は、9月18日に東海道新幹線から引退
します。ちなみに、JR西日本の山陽新幹線では37編成が残りますが、2006年頃に役目を終える予定です。
ここで0系の写真が見られます

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「哲学の道」の正しい由来は?
 京都市左京区に「哲学の道」があります。日本の道100選にも選ばれている風情のある散歩道です。

 「哲学の道」は、銀閣寺(正確には、慈照寺銀閣)近く、銀閣寺橋から若王子橋までの約2キロにわたる琵琶湖
疎水沿いの小道。春は桜、夏はホタル、秋は紅葉と、道行く人を楽しませてくれます。この「哲学の道」という名
前の本当の由来をご存知ですか? ガイドブックなどには、『哲学者・西田幾太郎が思案しながら散歩したのが由
来』と書かれていますが、実は、正しい由来ではありません。

 5、60年前まで、多くの日本人はドイツに憧れ、特に京都学派の学者、学生は、ハイデルべルグ大学への留学
を志しました。当時、京都大学教授であった和辻哲郎博士もそんなひとりで、ハイデルべルグ大学に留学していま
した。帰国後、疎水近くの彼の家には、哲学を学ぶ多くの学生が集まり、彼のドイツ留学の話に耳を傾けていまし
た。ハイデンべルグ大学の近くを流れる、ネッカー川対岸に小高い丘があり、その散歩道を学者や学生がよく散策
していたので「哲学者の道」と呼ばれていました。そして、和辻博士の談論の中から、ハイデルベルグの「哲学者
の道」をまね、京都の「哲学の道」が生まれたのです。今もなお、東西ふたつの「道」の交流は、続いています。

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消えた米騒動の舞台
 1918年8月、富山県で端を発した「米騒動」は、京都でも大きな暴動事件となりましたが、その衝突現場の
ひとつなったのが、京都市中京区の千本三条付近の米倉庫でした。千本三条を西に入って、JR山陰本線のガード
をくぐったところに、数年前まで「日本食料品倉庫」という名の赤レンガづくりの倉庫がありました。ここの米を
めぐり、「攻防」があったと、当時の新聞は伝えています。この付近の騒動を鎮圧する為に、軍隊も出動していた
そうです。

 今では、その倉庫も、巨大なマンションと化しました。京都の歴史を語る建物が、ひとつ消えてしまいました。

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やめられないとまらない・・・神戸空港の建設
 神戸市のポートアイランド沖を埋め立てて建設する神戸空港の建設が、2005年開港を目指して、神戸市民の
強い建設反対の声の中、始まりました。神戸市は、空港がもたらす経済効果を強調し、地元経済界もそれを後押し
していますが、地方空港の多くは、需要確保に苦しんでいるのが実情です。

 本来、1982年に出された神戸空港計画は、『関西国際空港(関空)の開港に伴う、大阪(伊丹)空港の廃港
』が前提でした。しかし、大阪空港は、周辺市の要望で存続し、神戸空港が開港すれば、大阪湾沿いの「大阪ベイ
エリアの40キロ圏内」に3つの空港が併存することになります。そもそも、関空建設時の想定では大阪ベイエリ
アに“1空港”だったはずです。神戸市は、「関空は国際ハブ空港、伊丹は国内基幹空港で、地方空港の神戸とは
競合しない」とし、さらに、空港を「雇用の場と、街の活力造りには欠かせない都市装置」としています。
 同市は、需要予測を、開港当初は年間で利用客340万人、発着回数2万回、開港5年目には年間420万人の
利用客と2万2千回の発着回数としています。しかし、この予測は、年に2.5〜3%の経済成長率を前提とした
もので、経済成長率が限りなくゼロに近い現状では、この需要予測自体が、崩れています。ドル箱路線とされる東
京・羽田空港へは毎日5便を期待していますが、羽田の発着枠は、ほぼ満杯。利用客の多い朝夕の時間帯に発着さ
せるのは、特に難しい状態です。
 
 神戸市民は、強く空港建設中止を訴えています。建設の是非を問う住民投票を求めて、約31万(有権者の3分
の1)の署名が集まりましたが、これを神戸市は、市議会で否決しました。先月、市民団体が自主的に行った空港
賛否住民投票では、投票数の約95%にあたる19万6144人が建設反対の意思を示していて、一部では、市長
のリコール(住民の意思によって“クビ”にする制度)に向けた動きも出ています。
 
 大阪府知事の横山ノック氏は、1998年の年頭の挨拶で「撤退する勇気を持って欲しい」と言いましたが、国
や市などの“お役所”は、一度決めた事を「やめる」ことを知りません。神戸市が今後、市民の空港建設に対する
理解を得るには、必要性や採算性、空港を生かす街の将来像について、説得力のある具体的な説明をすることが必
要です。そして、神戸市民にとって利便性の高い施設にする事が重要だと思います。

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鎌倉の大仏に大仏殿がない理由
 大仏といえば、奈良と鎌倉があまりにも有名です。大きさでは、奈良の大仏の方が大きいですが、鎌倉の方は、
奈良より、優しく穏やかな顔立ちです。その鎌倉の大仏ですが、何故か、大仏殿がなく、露天にそのまま座ってい
ます。
どうして、大仏殿がないのでしょう?
 初めから大仏殿がなかったわけではありません。鎌倉の大仏の造立が始まったのは、1253年で、その時には
大仏殿もいっしょに作られました。その後、大仏殿は何度か壊れましたが、1498年に鎌倉を襲った大地震によ
る大津波で流されてしまい、消滅。それ以降、大仏殿は、再建されずに今日に至っています。流された大仏殿は、
東西25間(約45メートル)、南北21間(約38メートル)という、大規模なもので、現在では、大仏の周囲
に礎石だけが残っています。
 奈良の大仏の方は、立派な大仏殿の中にどっかり座っています。この大仏殿の柱のひとつに、大仏の鼻の穴と同
じ大きさの穴があけられている柱があり、その穴を通り抜ける事が出来たら、幸せになるといわれていますが、さ
て、真実はいかに・・・?

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其の二

其の三

其の四

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