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なぜバイオダイナミック農場に多様な生命が見られるのか

なぜバイオダイナミック農場に多様な生命が見られるのか



以前大流行したO−157の中毒の問題を取り上げましょう。真偽の程は明らかでありませんが、カイワレダイコンに病原性の大腸菌であるO−157が繁殖していたのだと言われています。ところで、いわゆる大腸菌は私たちのまわりにいつでも存在しています。大腸菌がひどい悪さをしたことは今までなかったのです。それなのに、今になって、赤痢菌に起源するベロ毒素を含む大腸菌が突然変異で発生して来たわけです。そういう大腸菌の種類も増加したので、番号づけをして、その一つがO−157と呼ばれているのです。このO−157は、日本より前にアメリカで大きな被害を生み出しました。確か、ハンバーグ・チェーンが評判を落として、つぶれました。

埼玉県でも、何年か前に、井戸水の汚染でひどい被害が出ました。あの事件は、トイレの便槽から井戸にしみこんでいたのですから、ひどい話です。

O−157は単なる腹下しですまされない重い症状が出ます。夏場で体力の弱った年配者や子供に死者が出ました。日本中が衛生と予防に躍起になりました。給食現場の消毒殺菌がますます徹底されるようになったことが報道されました。

実は、このような対策こそ、そして、このような対策を生み出す私たちの発想法こそ、手に負えないほど強力な細菌やウイルスをつくりだしているのです。にわかには信じられないかも知れませんが、本当です。現実にだれもが確認出来る実証を挙げましょう。少なくともその可能性を認めざるを得ない例を挙げましょう。病原性の大腸菌が強力に活躍しているのは、殺菌技術の進んだ文明国だけです。開発途上国に0−157の問題はありません。

なぜでしょうか。世界中で大腸菌はありふれた存在です。ばい菌がうじゃうじゃいる国で、大腸菌は時折、下痢を引き起こすだけで、それ以上の悪さをしません。一方、スヌーピーになめられたと言って大騒ぎするルーシーのように、清潔第一の文明人は、悪玉菌を撲滅するためにあらゆる手段を講じて来ました。抗菌グッズが日本では流行っているではありませんか。

さて、私たちが攻撃されて、生存を脅かされる細菌だとしましょう。どうするでしょうか。誰しも生き延びたいものです。細菌も、ありとあらゆる対応策を試します。もちろん、人間の知性の破壊力は徹底的ですから、大半は死滅します。ところが、人間とちがって、細菌やウイルスの世代交替は非常に迅速です。人間は20年もたたねば、次世代が発生しません。つまり子供が出来ません。細菌は条件さえ整えれば、数時間で大丈夫です。しかも、人間の子供のように一人二人でなく、おびただしい数の子供を増殖させます。

ですから、人間の厳しい攻撃に耐え抜いた少数のエリートである細菌は、その優秀性を、大変な数の次世代に伝えます。そうなると、人類は新たな、もっと苛酷な手段を取らざるをえません。これまで有効だった手段をはねかえす能力が、細菌の遺伝子に刻み込まれているからです。こうなると、当然、数時間で新たな対策は発明出来ません。もっと時間がかかりますが、新たな殺菌技術を生み出して、細菌に挑戦します。すると、大多数の細菌は死にますが、やはり少数の細菌が、たまたまその防衛手段を保持していたために、生き延びます。何と言っても、細菌の数は気が遠くなるほどです。その気が遠くなるほどの数の細菌が、それぞれランダムに、防衛手段を生み出します。つまり、ある意味で、進化します。人間が働きかけるほどに、細菌は強力になっていきます。空手でも型を覚えて行くと、それだけ強くなるではありませんか。最初はほとんど無害の細菌でも、毒性を強めて行きます。人間と細菌のこのような戦いは、現代科学の思考法が続く限り、終わらないでしょう。このサイクルが何度も何度も繰り返されて、その度に、細菌は耐性を強めて行きます。

昔の人は、「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」と言って、人生の苦難を経験すればするほどに、自分の人間性は向上していく。円満なものに成熟していく事を知っていました。ところが、現代の科学は、その強力な精神性を利用して、細菌にさまざまな試練を与えて、細菌をますます毒性の強いものにするために力を尽くしているのです。

このような考え方はまだ一般的でないかもしれませんが、心ある科学者や医者によって認められつつあります。例えば、エイズ、後天性免疫不全症候群は、もともとアフリカの目立たない風土病にすぎなかったのです。それが、都市文明の発達によって、人間の働きかけによって変態させられたのです。

これまでの無機的モデル思考にもっぱら依存した科学の方法は、生命の浸透した世界の認識に対して、無力であると分かって来たと言ってもよいでしょう。

もちろん、私はばい菌だらけの環境こそ望ましいと主張しているのではありません。あまりに月並みな言い方ですが、「ほどほどが望ましい」と言っておきましょう。例えば、洗顔を長い期間怠ると、しみだした汗や脂が雑菌の繁殖を助長させます。思春期のニキビは、体中で勢力を増した代謝系の影響の結果です。また一方で、強力な洗顔料で顔の脂っ気をすっかり落としてしまうと、皮膚そのものが無防備な状態になり、ます。かさかさになってしまうと、外界からの影響にもさらされてしまいます。皮膚の過敏症のなかには、洗い過ぎが関係しているものもあるのではないでしょうか。だから、生理作用を阻害するほど、ごしごし洗うのも考え物です。それぞれの皮膚の性質も関係するのでしょうが、やはりほどほどの湿り気と脂気を皮膚が含むことが大切です。

人間でなく、農場が舞台であっても、やはり同じことが言えます。あらゆる害虫を一匹残らず駆除することは、生命経済を考えると間違っています。短期的に見ると、当然、殺虫剤を使った方が収穫は勝るでしょう。しかし、長期的に結果をまとめると、殺虫剤の大量散布は大きな被害を招きます。理由は既に述べました。その殺虫剤に耐久力をもつ子孫だけが生き延びるので、その殺虫剤は効かなくなり、害虫はますます強大な敵になっていくのです。万が一、その生物種を全滅することに成功したとしても、大きな生態系のバランスを崩した結果、その生物種に捕食されていた別の生命種が爆発に増加します。

そして、問題はそれだけでありません。農薬の購入費は農業者の大きな経済的負担になります。もし、その散布のために特別な機械が必要だとすると、それも買ったり借りたりしなければなりません。こうした負担は農業者を物質経済に偏するようにしてしまいます。本当なら、物質経済でなく、自然の経済に、自然の営みに沿った農業生産が望ましいのではないでしょうか。

もう一つの問題があります。残留農薬です。ますますしぶとくなった害虫を駆除する農薬は、それだけ毒性の強いものになっています。残留農薬は、例えば、野菜に付着して、私たちの有機体に取り込まれます。確かに微量なので、問題はないように思えます。ところが、人工的に複雑に合成された化学物質は、自然の産物と異なる振る舞いを、体内ですることになります。

お酒を痛飲した翌朝、二日酔いに悩まされた事はないでしょうか。頭は重く、吐き気がして、外界からの印象がまぶしく感じられます。どうしてそうなるのでしょうか。直接の原因として、アルコールの消費で異常に血液循環が活性化された、陽気な夜の代償として、疲れ切った有機体は、血液循環の停滞した朝を迎えます。あんなに軽く思えた体が今は重く感じられます。浮き浮きした気分は、憂鬱な内向にとってかわられます。この憂鬱の背後に、肝臓の働きがあります。

アルコールはその分解の過程で体に少し好ましくない物質を生成します。それもまた、分解されねばなりません。この面倒な手間を一手に引き受けているのが、肝臓です。現代科学は肝臓を巨大な化学工場だと言います。この精密な化学工場をもってしても、処理しきれないほど、酒を飲むことが私たちにはあるということです。

もし倦怠感や意志阻喪や体の重い感じがあるなら、肝臓の働きに支障が生じていると言えます。もちろん、肝臓は毎晩強力に再生する臓器ですから、たいていの無茶にも耐えられます。腎臓は切除すると二度と再生しませんが、何らかの理由で半分切られても、肝臓は短期間で元の大きさに戻ります。それほどタフな器官です。

私たちが食物として取り込み、消化の結果、液状と化した栄養物質は、必ず肝臓の領域を通過して、そこで変容されます。ところが、現実に、食物添加物や残留農薬やダイオキシンを私たちは摂取しています。食べ物としてだけではありません。皮膚を通して、目を通して、耳を通して、鼻を通して、取り込まれています。そして、結局は、肝臓に送られます。残念ながら、肝臓の叡知をもってしても、これらの合成化学物質を、しかも毒性の強い物質を、解毒することは困難です。少なくとも、解毒に時間がかかります。その一例として、私は二日酔いを挙げました。

このように、恐ろしい負担が肝臓に強いられています。私たちの読書会のメンバーの鍼灸師の先生がこう教えてくれました。「特に体調に問題がない人でも、肝臓マッサージをすると、とても心地よいと言うことが多い。」健康人でも、私たちは、知らず知らずのうちに、肝臓を酷使しているのです。肝臓は「沈黙の臓器」と言われます。ですから、音をあげたときは手遅れなのです。

私は、肝臓ガンや肝硬変などの肝臓疾患が増加しているのは、何の不思議もないと思います。その原因は単なる暴飲暴食にあるのではなく、私たちの食べたり飲んだりするものや呼吸する大気環境に含まれる微量の人工的化学物質にもあると思っています。

毒性を含む化学物質は、処理出来ない場合、肝臓に栄養物質と共に貯蔵されていきます。人智学医学は、肝臓を「内なる外界」と呼びます。肝臓は、私たちの意志力の座ですが、毒物の保管倉庫にもなっています。生命連鎖にしたがって、その毒物はますます濃縮されて、徐々に私たちの肝臓に蓄積されていきます。

これが現状です。肝臓ガンの患者が最後まで立派な意識を保ちながら、堅くなった右腹部を押さえて、「どうも、ものが食べられないのですよ」と嘆くのを見ることは、悲しいことです。飛躍して言うなら、私たちは、現代文明が最後まで強い自意識を維持しながら、へなへなと崩れ落ちるのを目撃する事がないとも言い切れません。

それではどうすればよいのでしょうか。ダイオキシンや残留農薬の問題に対策を講じると共に、そういう問題を引き起こす根源である地球観、宇宙観、人間観を一変させる必要があります。そうしない限り、別の問題が必ず生じるからです。

私たちは、心ある農業者の安全で美味しく栄養豊かな生産物を食べることで、ある程度の自衛ができます。しかし、その一方で、例えば人間有機体の内なる肝臓が外なる宇宙にある木星と深いかかわりがあることを実感する必要があります。そうすれば、私たちは地上に生きながら、宇宙の孤児でないことを知って、その認識から生まれる愛から、地球上で行動することができるようになるでしょう。



付記

バイオダイナミック農法ではありませんが、20年を越える自然農法によって見事な果樹園を生み出した藤岡有機農園の桃の収穫の季節になりました。彼の作り出す桃、リンゴ、ブドウなどはどれも絶品です。農業者が芸術家であると納得出来ます。アレルギーがあるとか、本物の美味しい果物を食べたいとか、安全なものを食べたいとか、生産者の顔と声と感じ方が分かるようなものを食べたいとお望みの方にはお勧めします。

「美味しい桃とりんごジュースはいかがですか」をご覧下さい。




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